016大和ミュージアムおよび図録

書誌情報:株式会社メディアジョン,126頁,本体価格2,381円,2005年4月23日初版,2006年5月1日第6刷発行

2005年4月23日にオープンした呉市海事歴史科学館大和ミュージアム」を駆け足で鑑賞してきた(https://akamac.hatenablog.com/entry/20080628/1214661716)。松山・呉・広島間のフェリー・スーパージェットを運航している汽船会社のコマーシャルの通り,フェリー乗り場に近接しており,とても便利なところにある。
呉は横須賀,舞鶴佐世保と並んで海軍の要衝の地だった。軍港の歴史とともに呉の近代史があるといってもいい。1889(明治22)年鎮守府が設置され,海軍工廠設立は日露戦争の前年にあたる。正岡子規は,日清戦争終盤の1895(明治28)年3月9日,海防艦「松島」に海軍従軍記者として乗艦する友人古島一雄(こじまかずお)を見送るために呉を訪れ,「大船や 波あたたかに 鴎浮く」の句を残している。
さて,展示は呉の歴史を呉鎮守府の開庁,海軍工廠,大和の製造と軍事基地としての発展から平和産業港湾都市としての再生までを扱っている。ミュージアムの名前にあるように,戦艦大和の技術と悲劇がクローズアップされている。大正デモクラシーの項では「物価上昇や住宅不足などをきっかけに,労働運動も盛んになりました」とやや他人事めいてはいる。かつて工廠の「三様の相聯(そうれん)」(山田盛太郎『日本資本主義分析』)のひとつとして「伝統の工場地域を基調とする阪神帯,すなわち,三菱,川崎,大阪,藤永田,飛んで呉」と描かれた実態や日露戦争直前の5,000人参加の争議(「呉工廠争議参加者の内,製罐工場そのものはその57%,機械工場のものは21%」)が「プロレタリアートと日本型ブルジョアジーとの拮抗の現実化」とされたことなどは知ることはできない。
セーラー万年筆http://www.sailor.co.jp/)はここ呉が発祥の地(現在も工場がある)とは初めて知った。2005年3月までに合併した8町と取り交わした合併協定書時に呉市長が使ったのもセーラー製万年筆のようだ。なるほど呉にはいまでもセーラーがよく似合う。