035萬翠荘パネル展「日露戦争〜ロシア兵俘虜が見た明治松山〜」

一昨日,坂雲ミュージアムへ客人を案内したあと,その上にある萬翠荘に行く。松山に来たばかりの頃(25年前),名所や旧跡をはしごしたとき以来だ。萬翠荘は木子七郎(きご しちろう)の設計で,1922(大正11)年に旧松山藩主の子孫にあたる久松定謨(ひさまつさだこと)――秋山好古がフランスに同行した――が別邸として建設したものだ。夏目漱石が松山に居た時下宿していた「愛松邸」はこの敷地にあった。もともとは松山藩の家老屋敷の跡地だった。
さて,入口から入ってすぐ右の部屋で,ちょうど,パネル展「日露戦争〜ロシア兵俘虜が見た明治松山〜」をやっていた。日露戦争時のロシア兵俘虜のパネルや明治の救護員制服の展示などがあった。日露戦争の一齣とロシア人俘虜施設――エントリーで触れたように,愛媛大学城北キャンパスはロシア人俘虜施設のあった場所にある――を知る手がかりとなろう。
残念なのは,折角の展示の資料一覧が置かれていなかったこと。見ておしまいという無料=無資料とはこの種の企画の要改善点だ。