409『「坂の上の雲」の松山を歩く』

書誌情報:愛媛新聞社,135頁,本体価格1,524円,2009年11月4日発行

「坂の上の雲」の松山を歩く

「坂の上の雲」の松山を歩く

  • 発売日: 2009/11/01
  • メディア: 単行本

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松山の書店には,今月末からNHKで放映される「坂の上の雲」関係書籍が山積みされている。ジュンク堂も例外ではなく,前から気になっていた本書をつい買ってしまった。「坂雲」のイデオロギー性や歴史観とは別に,これを機会に「坂雲」と松山についての知識の引き出しを多く持とうというのが評者の姿勢だ。
「坂雲」に登場する松山の舞台43スポットをカラー写真,地図,解説でまとめたもので,現在のスポット,「坂雲」からの引用,原作での叙述がわかる構成になっており,類書にはない歴史散策ガイドになっている。表紙には明治37年ころの松山市全図があしらわれている(福島県立図書館佐藤文庫蔵)。一部にロシア語が使われていることからロシア兵用途なのかもしれない。
城北練兵場跡地にあるのが愛媛大学城北キャンパスで,松山大学と松山北高校の東側,東中学校,東雲小学校,松山赤十字病院の敷地を含んでいた。大学予備門(後の第一高等中学校)時代の子規が碧梧桐や虚子に野球の手ほどきをした場所であり,日露戦争時にロシア兵の捕虜収容所,大きな各種歳事に使われた。現在はこの一帯は文京町となり,軍事施設が文教施設に衣替えしたことになる。いまはなんの痕跡もない。

  • 城南・城東エリア
    • 坂の上の雲ミュージアム(フィールドミュージアムの中心地)
    • 秋山兄弟生誕地(好古が晩年に過ごした住居を復元)
    • 大街道(発展を続けてきた松山有数の繁華街)
    • 愚陀佛庵(子規と漱石が同居した下宿を復元)
    • 萬翠荘(久松定謨が建てたフランス風建築)
    • きどや旅館跡(漱石や真之が泊まった松山一の宿)
    • 第52国立銀行跡(子規の叔父が頭取を務めた銀行)
    • 大原観山旧居跡(子規にまげを結わせた古風な祖父)
    • 河東静渓住居跡(庶民教育に尽くした子規の漢詩の師)
    • 勝山学校跡(子規らが学んだ松山一の大規模校)
    • 松山中学跡(真之・子規など多くの偉人の出身校)
    • 愛媛県庁(県会議事堂跡)(子規が熱中した県会座の舞台)
    • 高浜虚子住居跡(子規の高弟が若き日を過ごした)
    • 明教館(多くの学校の学び舎となった講堂)
    • お囲い池跡(松山藩の庭園の池を利用した水練場)
  • 道後エリア
  • 中の川エリア
    • 子規堂(正宗寺)(子規が住んでいた家を忠実に再現)
    • 中の川(子規旧邸の前を流れていた川)
    • 子規誕生地跡(近代俳句の父が産声を上げた地)
    • 子規旧邸跡(百花繚乱の庭で子規が感性を育んだ)
    • 法龍寺(末広学校跡)(幼年期の子規が通った小学校跡)
    • 子規母堂令妹住居跡(子規が上京した後の正岡家の住み家)
    • 『ほとゝぎす』創刊の地(今も発行を続ける俳誌の発祥地)
  • 松山城エリア
  • 城西・城北・三津浜エリア
    • 子規の句碑(JR松山駅)(帰省時にふるさとを詠んだ代表句)
    • 大林寺(ロシア兵捕虜収容所跡)(日露戦争初の捕虜がやって来た)
    • ロシア人墓地(異国の地で倒れた98人が眠る)
    • 北予中学校跡(晩年の好古が6年余り校長を務めた)
    • 城北練兵場跡(市民の散策の場でもあった演習用地)
    • の・ボールミュージアム(子規に始まる愛媛の野球史を展示)
    • 塔寺河東碧梧桐と父・静渓の墓所
    • 三津浜(古くから栄えた松山の海の玄関)
    • 梅津寺公園(秋山兄弟銅像)(好古・真之の像が戦いの地を望む)
    • ターナー島(四十島)(漱石が小説『坊っちゃん』中で命名