331捕虜スポーツ

山田理恵(鹿屋体育大学教授)「捕虜スポーツ 足跡追う――サッカーやテニスが生きる支えに,文化交流の役割も――」(日経新聞2015年11月2日付文化欄)に目が行く。
1917年に開設された板東俘虜収容所(徳島県鳴門市)は日本で初めてベートーベンの「第9」を演奏したことで知られている。同収容所はレクレーションも盛んで,ドイツ体操,サッカー,テニス,ホッケー,レスリング,ボクシング,重量挙げなど「さまざまなスポーツ」が楽しまれていたという。ワンダーフォーゲル運動の提唱者カール・フィッシャーは板東に収容されていたことも著者によって明らかにされた。
久留米,習志野,松山でもサッカー,ホッケー,テニス,自転車競争,ボウリング(九柱戯か?)の記録があるという。また,第2次世界大戦時のシベリア南部のチタでは野球,魚釣りも確認できるそうだ。
「収容所生活において実践されたスポーツは,絶望の中で人間性を保ち,生きることを支えたのではないだろうか」と著者は結んでいた。
残念ながら卓球の痕跡はこの稿からはわからない。日本に卓球が伝わったのは1902年とされる。ピンポンが卓球と命名されたのが1921年であり,日本での広がりと用具の普及やドイツ人捕虜ということを考えるとピンポンが収容所で楽しまれていた可能性は高くないように思う。
捕虜スポーツの歴史はスポーツの普及と伝播と関わっている。