439中村政則著『『坂の上の雲』と司馬史観』

書誌情報:岩波書店,viii+241頁,本体価格1,800円,2009年11月13日発行

『坂の上の雲』と司馬史観

『坂の上の雲』と司馬史観

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松山は今『坂の上の雲』(以下「坂雲」と略称)で街おこしをはかっている。「坂雲」効果で松山への観光客数は伸びているという。同時に「坂雲」テレビ放映化によって,間違いなく歴史意識に大きな影響を与えるだろう。そのことを十分に意識して,著者は「政治意識の基礎には歴史意識があ」(「あとがき」)り,「政治意識は歴史意識と不可分の関係にあ」(同上)るとして,「坂雲」と司馬史観を批判的に検討している。
司馬が「坂雲」を「事実に拘束されることが百パーセントにちかい」とした「歴史小説」だが,日清戦争から日露戦争を経て韓国併合にいたる史実と資料から,司馬が見たことと見なかったことを明らかにする。著者は,司馬の日清戦争観をプロシャ主義(国家の機能を国防に集中する)と地政学的アプローチ(朝鮮半島の位置が悪い)にまとめ,日露戦争を強国ロシアに小国日本が打ち破った奇跡の物語(祖国防衛戦争論=「坂雲」の主題)にしているとする。しかもそれをやり遂げたのは「小さな田舎町」松山出身の秋山好古,真之らであり,「坂雲」の「青春物語」にしている側面と見る。(本書第二章はこの部分に当てている。ただし,「坂雲」の祖述にすぎず,本書にそぐわない。)
司馬史観をもとにした「自由主義史観」批判も著者の問題意識にある。司馬は「明るい明治」と「暗い昭和」(明治の賛歌と昭和への糾弾,あるいは上り坂の時代と下り坂の時代)と二項対立に描き,大正史をすっぽり欠落させてしまう。「民衆が演じた役割と,経済的な要因がもったであろう意味は,ほとんど描かれず,ほとんど分析されない」(加藤周一司馬遼太郎小論」)のは,司馬も「自由主義史観」も共通だという。
著者による「坂雲」と司馬史観の検討は批判にとどまってはいない。明治維新の性格規定,明治憲法天皇観,日清・日露戦争の意味,大正デモクラシーの意義,太平洋戦争の両義性(侵略と解放)解釈などについて著者の意見を積極的に提示している。
「好きな人間に対する形象化は見事だが,嫌いな人間の描き方はひどく類型的で,間違いもある」(221ページ)。著者の「坂雲」印象だ。
中村屋の海苔は塩とごま油が効いていてなかなかおいしい。司馬漬け(ちなみに,評者の好みは京都・出町柳の「田辺宗」のもの→http://www.tanabeso.jp/)だけでなく,こちらもどうぞ。