388松山および子規・雑感

S先輩が松山関連記事が出ていると『書斎の窓』第600号,2010年12月号(有斐閣)と『本郷』第90号,2010年11月号(吉川弘文館)を送ってくださった。
前者は定期購読しているが封を切ったままにしていて先を越されてしまった。連載「都心力散歩10ルート」第8回「松山――山を囲む環状都市」(西村幸夫)がそれだ。山を囲むまちとしての松山の特徴を述べ,市街地形成の歴史と環状都市のそのまた都心環状のループを紹介していた。「城山のすぐ北側は小学校から大学までが集中する文教地区,ここはかつての練兵場だった」(58ページ)。文教地区が道後温泉とならんで環状都市の一角を担っていると分析している。5ページに図2,写真6を入れ込み,松山の特徴を見事にまとめている。
後者は巻頭言「百話百言」の「正岡子規と民権運動」(中村政則)。明治14年,国会開設の詔の提出に合わせて,あの子規が清水次郎長の養子・天田愚庵(あまだぐあん)の影響を受け自らの憲法案をまとめ上げていたという。俳論,歌論と同様に「新しがり屋」子規に光を当てていた。