『中央公論』2009年2月号が「大学の絶望」の特集を組んでいる。
竹内洋と鷲田清一の対談「下流下した学問は復活するか」では多元的な高等教育が必要であること,これからの時代には専門を相対化する,距離化する教養が必要だとしている。後者の,教養→専門という理解では不十分という提示はよくわかる。前者については,中教審などがしきりに言っている種別化された大学とほぼ同じなのだろう。
石田英敬「瀕死の『人文知』の再生のために――教養崩壊と情報革命の現場から――」では,大学は知の公共性の担保者であるべきであり,あたらしい啓蒙に取り組むことを提唱する。この特集では唯一論文風スタイルだ。
鷲田小彌太「大学教授に冬来る,か?――少子化と制度改革がもたらしたもの――」は,無能な大学教授排除論だ。無能な教授が多数存在する現状ではどんな改革や強制をしても意味がないということ。
竹内薫「滅びゆく日本の理工教育――若手科学者を格差が襲う――」は,理工がポスドク問題と競争的資金獲得という二重の格差に直面し,文科省のウルトラC政策を促すものだ。
石渡嶺司「広報戦略なき大学に未来なし――情報発信力の差がサバイバルの明暗を分ける――」は,積極的に広報をしない大学には暗い将来しかない,だ。
「下流化した学問」,「瀕死の『人文知』」,「大学教授の冬」,「滅びゆく日本の理工教育」,「広報戦略なき」と大学に絶望するよりは,上流化に向けて,蘇生し,暖かい夏を思い,再生しつつ,未来を考えることのほうがずっといい。大学に絶望するのはすこしばかり早すぎないか。