429猪木武徳著『大学の反省(日本の<現代>11)』

書誌情報:NTT出版,vii+316頁,本体価格2,300円,2009年4月17日発行

大学の反省 (日本の〈現代〉11)

大学の反省 (日本の〈現代〉11)

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日本の高等教育と研究が抱える問題を論じ,教養教育の復活(かつてはあったという認識に立つ)を強調している。「はじめに」でまとめている3点が主張である。第1に,「研究大学」を含む日本の大学は,専門職の教育と研究活動に多くのエネルギーを割き,教養教育をないがしろにしている。大学における本格的な教養教育の復活とそれを担う教師こそ教師と呼ばれるべきだということ。第2に,「良質な私学」(すべてではないことに注意)への財政的支援を強めること。第3に,研究と教育は長期的視点での評価が必要であること。いずれもキーワードは教養教育である。
教養教育を重視する主張は,学部段階の教養教育を欠いた専門教育重視と裏腹の関係にある。大学の物的環境,実利性,ホワイトカラーの学歴と仕事,資格などの分析から日本の大学の「低学歴現象」(高等教育機関への進学率と社会科学分野の大学院進学率),審議会や政策決定への専門知を尊重する法的仕組みの不明確さや世界の論壇やジャーナリズムでは多くが大学院教育を受けていることの指摘はこの点にかかわっている。
アメリカの大学生協には政治学や経済学のテキストとしてスミスの『国富論』やプラトンの『国家論』が普通に置いてあるという。学部や大学院のテキストとして指定されているからだ。これにたいして日本の大学では各種解説本が幅を利かし,「スミスやプラトンそのものを読むという訓練は一般の学生に対してなされる機会は少ない」(132ページ)。学問の分化と専門化の進行によって教養軽視は避けがたい傾向と認めつつ,あえて古典教養の復活とその担い手たる教員の重要性の主張は,本書の中心論点といってもいいだろう。伊藤博文が日露開戦の御前会議の後に漢詩を創って金子堅太郎に自分の意志を伝え金子が即座に漢詩で応えた場面,古典を精神の食べ物とする喩えは産業社会の人文学の意義を教えてくれる。
よい大学,道徳と知性のバランスの取れた学部教育としての教養教育プラス専門職大学院,が著者の理想とする大学だ。一括りに私学助成をするのではなく,研究教育に積極的に取り組んでいる私学には徹底した助成をおこなうべしとする考えもこれと結びついている。さらに専門的職業人は本来の教養=自由学芸を土台にもった人であり,専門的知識を持ち同時に全体を考えられる公共的知識人であるとの見通しは,「日本では修士・博士などの大学院レベルの学位のためのトレーニングを受けた人材が,社会人,専門的職業人の中にいまだ多く見られない」(188ページ)現状理解と重なっている。
競争と質の保証については,欧米の例を紹介しながら,補完的な関係にあった教育と研究が対立関係に陥ったこと,国際化については,学問という長期投資の視点が必要であり,その鍵を握るのが人文・社会科学であることの指摘は重い。
大学にかかわる多くの論点に触れ,大学の将来を教養教育の再生という論点に落とし込んだ印象が強い。大学論のベクトルを大きく束ねるインパクトを持つ一書ということができる。