537上山隆大著『アカデミック・キャピタリズムを超えて――アメリカの大学と科学研究の現在――』

書誌情報:NTT出版,331+54+xiv頁,本体価格3,200円,2010年7月1日発行

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1980年代以降科学研究の市場化と大学の商業化が一気に加速した。そのなかで問われてきたのは,スタンフォードの例をあげているように,豊富な政府資金を獲得し公共的な空間での科学研究か,あるいはシリコンバレーに囲まれてつねに商業化・産業化のシーズを提供するか,である。アカデミック・コモンズを追求するのか,あるいは大学研究の私有化を許容するのか,とも言い換えることができる。大学研究の公と私を,アメリカの大学におけるパトロネッジという視点から捉え直し,知の共同体の将来を考えようというのだ。
著者の見通しは,「(大学の科学研究と:引用者注)市場との関わりが一時的な混乱を伴うとしても,長期的にはプラスの効果をアカデミアにもたらす」(iiページ)である。大学論の多くが古典教養を重視するヨーロッパ型大学を基礎にしているのにたいし,著者のフィールドは医学や工学といった応用分野を中心にしている。日本においても大学が獲得した外部資金は,間接経費として大学の予算に計上され,まわりまわって大学内のあらゆる領域に活用されていることを考えれば,アメリカの大学を対象にしたアカデミック・キャピタリズムはけっして対岸のできごとではない。
政府からの安定した公的支援を前提として多様なパトロネッジのネットワークが必要だ,というのが著者の見立てである。市場化の先に大学研究の将来を見通すのは,けっして現状肯定ではない。「古典的なアカデミアとは異なる対処方法」(316ページ)を提起する積極的な意味をもっている。「重厚な教養教育と人間教育によって,知への渇望と知識生産へのコミットメントの意識を陶冶する学部教育を充実させた上で,一般社会や一般大衆の中にある知識への希求や新しい技能への欲求を適切に吸い上げながら,それまでと異なる新たな知識を作り出していく開かれたアカデミア」(323-4ページ)。実用をとかく強調する大学政策者と教養をとかく強調する大学関係者双方へ警鐘を鳴らしている。