030ジル・ドスタレール著(鍋島直樹・小峯敦監訳)『ケインズの闘い――哲学・政治・経済学・芸術――』

書誌情報:藤原書店,699頁,本体価格5,600円,2008年9月30日発行

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2009年2月28日午後5時20分読了!「大部で,しかも幅広い内容を扱う書物ではあるけれども,読者には,ぜひ最初から最後までゆっくりとページをめくって本書を通読していただきたい」(監訳者あとがき,626ページ)を身をもって実践したことになる。苦節5ヶ月の「ケインズの闘い」への闘いはようやく完了した。
政治哲学や道徳哲学との繋がりを重視するケインズの闘いの資料は,全集,アーカイブズ,二次文献を含めると壮観である。ケインズ非専門家をして5ヶ月もねばらせたわけだから,欧米ではなかなか認知されない経済思想史(経済学史)の分野ではひとり日本が「多元主義と寛容の地」(「日本語版への序文」,1ページ)とし,原書(英語),フランス語に続いていち早く日本語の翻訳書を慫慂した著者の日本観はみごとあたっていたというべきであろう。
本書は「経済理論の著作でもなければ経済思想史の著作でもない」(29ページ)。政治的ビジョンや哲学的見解と結びついたケインズ経済学を浮き彫りにする本書は,哲学・政治・経済学・芸術――この副題は原書にはなく,序論での著者による概要から採ったもの――各領域でのケインズの軌跡を縦横に絡ませている。「通読」せよという監訳者の勧めはあたっている。
ケインズの生涯は,二度の世界大戦,ロシア革命,大不況,ファシズムアメリカの覇権の確立と未曾有の歴史と背中合わせであった。同時代人ケインズは目の前の貧困,不平等,失業,経済恐慌から世界秩序の確立にかかわる金本位制や国際機関の設立にいたるまでなんらかの改革による可能性を提示しようとした。著者はこの問題意識からケインズその人を「伝記的・歴史的な文脈」(26ページ)に位置づけ,倫理学に始まり,美学に終わる「闘い」を入念に跡づけた。
哲学の領域では,大きく倫理(ケインズのビジョンの源泉)と知識(不確実性,確率,モラル・サイエンス)を扱い,ブルームズベリーとアポスルズとのかかわりを補章として挿入している。ここではヴィクトリア朝イデオロギーの基礎には宗教的道徳観にあると見抜いたケインズが,ムーアの善の観念をヴィクトリア朝の道徳に代わるものとみたことやフロイトとの出会いによる道徳観念の相対化に進化する姿を見る。同時に著者は,ヴィクトリア朝的道徳を理論的には否定しながらも,実践においては遵守しているケインズを描き,現代の極端な自由主義が道徳上の厳格主義,保守主義,宗教的原理主義ときわめて親和的であることを指摘することで,初期の自由主義ケインズの闘いは未了であることを確認する。ブルームズベリーとアポスルズの補章では純粋芸術と応用芸術とは一致するとしたフライ(文化経済学ではよく引き合いに出される)や宗教的な反啓蒙,性道徳への反逆で共感を見いだしたフロイトとの交遊が目を引く。知識の章では,初期から晩年までの著作などを中心に,父との関係,『一般理論』に及ぼした影響,モラル・サイエンスとしての経済学と自然科学との相違に触れる。なかでも,経済学はモラル・サイエンスであり,自然科学で用いられる方法を適用することができないことや一般均衡の観点から概念化することに反対したことを特徴的に描く。著者は,ケインズ経済学が「社会物理学」・「物理学モデル」(「日本語版への序文」,2,3ページ)のそれとはまったく異なり,文明の進歩に資するものであるとし,ケインズ再評価を試みる。ケインズ経済学の底流には若き時代からの哲学的ビジョンが存在することを確認している。
政治の領域では,ケインズの政治的ビジョンと戦争(ボーア戦争第一次世界大戦)時の対応を扱い,当時のイギリス政治史を補章としている。バークに関する初期著作から,ケインズ政治思想の中心的見解であるマルクス主義共産主義にたいするケインズの思想源泉を抽出する。同時に,民衆の能力についての懐疑や知的エリートへの期待をともなう,ケインズの立場――反動と革命のあいだ,つまりニュー・リベラリズム,ソーシャル・リベラリズム,リベラル・ソーシャリズムと表現される――を明らかにする。ケインズユートピアマルクスのそれと似ているとして,『ドイツ・イデオロギー』の一節を引き,両者のちがいが「変革の手段」だとする著者の意見は,マルクスを毛嫌いしたケインズの再解釈としておもしろい。戦争時の対応は,良心的兵役拒否と『平和の経済的帰結』にいたる軌跡が中心である。良心的兵役拒否と戦闘に加わる決意とのあいだには矛盾がなかったこと,耐乏生活を弱い立場にある人々に押しつけてはならないことを内容とするケインズ戦争と平和が史実とともに語られている。
ケインズの主領域である経済学では,『貨幣改革論』(1923年),『貨幣論』(1930年),『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)という3つの書物を繙き,経済的原動力にして社会的病理である貨幣,ケインズ前後の失業分析とケインズ理論,国際通貨体制を扱う。貨幣についてはフロイトからの影響として,肛門愛と保蔵性向および貨幣と排泄物との同一視があるとし,『一般理論』における貨幣不浄視に繋げている。あわせて,貨幣数量説への懐疑,貨幣需要のうち金融動機を付加した理由,流動性選好需要の解説がある。労働については失業理論の系譜とケインズ失業論の特徴が明快に述べられている。とくに失業理論の系譜についてはケインズ理論の登場を必要とした「社会が直面しつづけている問題」(438ページ)だけでなく,理論史上の位置を知る上でもきわめて有益である。マルクスの資本の一般的定式に賛意を表明していたこと(388ページ),シスモンディをマルクスケインズの先駆者と位置づけること(409ページ以降),さらにはマルクス産業予備軍との関連を問うていること(410ページ以降)など著者の視野は広い。国際通貨体制では,ケインズがその生涯をとおして国際経済の諸問題,とりわけ貨幣的・金融的な性格をもつ問題に熱意を示していたことを確認することからはじめ,完全雇用と成長を促進し戦争のない世界をつくるための国際金融秩序の設計が,周知のブレトン・ウッズにいたる確執とともに微細に描かれている。ケインズのように選挙で選ばれたのではない専門家たちが縦横に活躍した舞台裏(「テクノクラートの権力」499ページ)の物語は政治の世界との緊張関係をともなうものでもあった。
貨幣愛を論いながら,ケインズは貨幣蓄積に大きな精力を注いだ。実業家たちを「芸術家や科学者になれる見込みのなかった」(507ページ)人物とみなしながら,ケインズはとてつもなく貨幣への執着をみせた。「美への接近」(507ページ)のゆえである。ケインズは芸術の理論家であり,消費者であり,後援者でもあった。伝記類は別として,ケインズと芸術(美学)については論じられることがすくないことを考えれば,本書の最終章に芸術を論じる章をおき,ケインズの学生時代からの美学理論を詳述する構成は本書の魅力のひとつといえるだろう。美の観照能力や審美眼教育という「ヴィクトリア朝的なエリート主義」(514ページ)を残すとはいえ,経済理論家としての使命以上に芸術および芸術家の後援者としての使命をみたケインズの生き様が活写されている。いまなお残るケンブリッジの芸術劇場はケインズの遺産というべきであり,芸術評議会の創設――著者は触れていないが,at arm's length原則で知られる芸術支援の一類型――は,ブレトン・ウッズ協定よりも心血を注いだケインズの生涯をあますところなく伝えている。ニュートン文書のコレクションに関連して,「彼(ケインズ:引用者注)の最後の論文の一つはニュートンについてのものだった」(530ページ)と簡単である。近代科学者ニュートンが実は錬金術に最後まで興味を失っていなかったというケインズの発見(ニュートン像への問題提起)についてはあえて省略したのだろうか。
ジョン・ロビンソンが残した,ある会合でのケインズの言葉「そこでは私は,ただ一人の非ケインジアンであった」,あるいはフリードマンが記者に語ったという「いまや,われわれは皆ケインジアンである」とは,ケインズ主義の多様な受容を示している。著者が本書をとおして訴えたかったことは,ケインズの社会についての総体的な理解であり,経済・政治・倫理・知識・芸術と複雑に結びついていたことの再構成である。もし社会に病弊があるとしたら,その治療法は状況や時期や場所によって異なってくる。この意味で「『ケインズ政策』なるものは存在しない」(567ページ)のではなく,存在してはならないのだ。

(追記)監訳者のおひとり小峯さんによると,この度重版になったそうだ。「厚高」(厚い,高い)もなんのその,快挙といっていいかもしれない。(2009年3月14日記)