028愛媛県立三瓶高校山下記念館

大学の用事で西予市三瓶町にある三瓶(みかめ)高校に行ってきた。1979年に卓球世界チャンピオンになった小野誠治の母校である。小野以降日本人の世界チャンピオンはいない。卓球ではこんなエピソードがある。河野満(Kono),小野(Ono)と続き,その後はいなくなった(No)というわけだ。今回同行した入試課長が三瓶高校の出身で,小野と学年が一つ違うということだった。
これも何かの縁かなと思いつつ,応接室に案内される途中山下記念館の表示に気がついた。山下亀三郎を記念して建てたとのことで記憶が戻ってきた。
山下亀三郎は1917年に山下汽船(商船三井の前身のひとつ)を設立した。海運王と呼ばれる立志伝的出世を果たした人物である。山下は,宇和島に近い吉田町(旧喜佐方村)に生まれ,16歳で郷里を出奔し,代用教員,紙屋の店員,石炭商などを経て山下汽船を創業した。吉田町には亀三郎の生家が保存され(評者未見),山下公園がある。亀三郎は郷里に山下実科高等女学校(現吉田高校),母親の生地三瓶町に第二山下実科高等女学校(現三瓶高校)を贈った。亀三郎が中心となった寄付金で作られた軍人子弟教育のための中学校もある。第二次世界大戦桐朋学園として再出発し,小澤征爾ら世界的音楽家を輩出した。秋山真之に小田原の別荘を提供し,臨終の場に立ち会った。
石原慎太郎東京都知事の父親・潔が生まれたのは,八幡浜市に隣接する長浜という港町である。幼少期は八幡浜宇和島など地元で西宇和,南宇和といわれる地区ですごした。宇和島中学(現宇和島東高校)を中退し,14歳のとき亀三郎の創業した山下汽船に入社した。保内(ほない)町にある龍澶(りょうたん)寺が石原本家の菩提寺である。
以上は,佐野眞一著『てっぺん野郎――本人も知らなかった石原慎太郎――』(講談社,2003年8月29日発行,[isbn:4062119064])に出てくる話である。
その亀三郎を記念する建物が山下記念館だった。1979年に竣工となった。佐野本には山下記念館のことはなかったように思う。3階建てで,入口付近に銅像,写真などがあった。資料類はそれほどなく,あくまでも設立者亀三郎を記念する趣旨のようだ。自習室や図書室などとして使われている。