078三瓶高校創立90周年記念講演会

愛媛県立三瓶高校は,第二山下実科高等女学校として産声をあげて90周年をむかえた。以前触れたように,ちょっとした縁があって記念行事の講演会での講師をしてきた。「山下亀三郎氏の時代と三瓶高校」のタイトルで90分,亀三郎の生涯を辿り,女学校を含む郷里の社会基盤整備について話してきた。
みずから発掘・発見した資料類は皆無で,自伝や亀三郎と石原潔(石原慎太郎の父親)関係書籍をもとに再構成したものだ。


講演には吉田にある亀三郎の生家を継いでいる重蔵さん(亀三郎の兄の曾孫)もいらっしゃっておられ,いくつかの事実の確認と使用した資料の誤りを教えていただいた。亀三郎は4男で,姉が3人おり,7人兄姉の末っ子である。亀三郎は自伝で兄姉について詳しくふれていない。また,亀三郎関係書籍でも同様である。四男なのに亀三郎とはこれいかに。これについても重蔵さんに教えてもらった。
重蔵さんから,亀三郎の母の生地である三瓶町安土のすぐ近くに姉の嫁ぎ先があり,亀三郎が特注したという Y の字が入った瓦屋根がある,と教えてもらった。三瓶高校の O 先生に案内してもらい車で移動する。三瓶高校からは一旦海に出てすぐのところにこの家があった。
重蔵さんによると亀三郎が建てて姉に贈った家とのことだ。姉夫婦に子どもがいなかったこともあり,現在は山下家とは関係のない方が住んでおられる。家を見ると瓦に Y の字があり,小振りの瓦でそれほど目立たないが,亀三郎の意気込みがわかる。
海運王とも泥亀とも言われ,また「第一次大戦期屈指の船成金」・「大正昭和の代表的政商」(佐野眞一)とも形容される亀三郎は,ただの泥棒でも船成金でも政商でもなかったことは確かである。




創立90周年記念誌はカラー刷り76頁の立派な冊子。戦前期の女学校時代の貴重な写真が何枚か掲載してある。卓球の世界チャンピオン(79年平壌大会)になった小野誠治の写真もあった。三瓶高校の校歌は坂村真民作詞・中田喜直作曲であることも知った。

(2010年11月9日追記)愛媛新聞2010年11月7日付けに記念式典・記念講演ついて記事が載っていた。縮小して下記に。