447大西寿男著『校正のこころ――積極的受け身のすすめ――』

書誌情報:創元社,238頁,本体価格2,000円,2009年12月10日発行

校正のこころ

校正のこころ

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「OD時代糊口を凌ぐために校正のアルバイトを長らくやったことがあり,日本エディタースクール出版部http://www.editor.co.jp/press/index.html)の編集・校正本にはすっかりお世話になった。そういえば,フーコーイリイチの翻訳本などもここからだった」とエントリーで書いたことがあった(日本福祉文化学会監修/河畠修・厚美薫著『現代日本の高齢者生活年表――1970-2007――』→https://akamac.hatenablog.com/entry/20080825/1219656308)。ほかにも,S研出版でC式の数学問題集の内容校正ということで,問題を解いて解答が合っているかどうかのチェックをしたこともある。問題集毎にノートを作り,ノートを提出してアルバイト料を受け取る厳しいものだった。数学のおさらい(?)と受験問題集作成の裏を知るいい機会だった。意外にプラス・マイナスの符号や簡単な数字の誤植が多かったことを覚えている。
さて,著者の校正論は,デジタル時代をふまえ,校正の仕事,原則,役割から組織や編集とのかかわりでの校正を論じたものだ。校正の技術にとどまらず,校正からみた出版・書籍論の性格が強い。現在書店に並んでいる書籍(本や雑誌など)のうちフリーの校正者を経て世に出たものはまだしも幸運だという。多くは編集者=校正者=オペレータという一人三役によって生み出されている。
校正者が「あたかも日本語の自動修正機のようにあつかわれ,便利だけれどもこうるさい道具の一つとしか見なされない」(70〜71ページ)がゆえに,出版世界における校正と校正者の復権(著者はこれを「校正者による「人間宣言」」と呼ぶ)を主張しているのだ。
校正とは徹底して受け身である。脇役が主役になりえないことを自覚しつつ,みずからすすんで受け身のアプローチをとる。「積極的受け身」というわけだ。「合理化とコスト削減の嵐のなか,逆風をもろに受ける校正という仕事」(235ページ)への誇りと意味をあらためて考えさせられた。
ブログを書いている人は,たいていの場合,書き手であると同時に編集者でもあり校正者でもあるだろう。本という形をとらなくても,校正のプロセスは欠かすことができない。「言葉を回復し再発見する力」(12ページ)は変わらないままなのだ。