462長谷部弘・高橋基泰・山内太編『飢饉・市場経済・村落社会――天保の凶作からみた上塩尻村――』

書誌情報:刀水書房,xvii+123頁,本体価格3,800円,2010年3月25日発行

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シリーズ「近世上田領上塩尻村の総合研究」の別巻(第I巻『近世日本の地域社会と共同性――近世上田領上塩尻村の総合研究I――』として既刊,[isbn:9784887083769])であり,凶作と飢饉がテーマである。凶作・飢饉を主題とする場合には凶作=飢饉=危機という「危機論的アプローチ」を採ることが多い。ステファン・デヴロー『飢饉の理論』(松井範惇訳,東洋経済新報社,1999年,[isbn:9784492442241])を参照しながら,人口と食料との相関関係を重視するマルサス・テーゼへの批判,飢饉の定義,飢饉の理論的説明をめぐって展開された研究を敷衍し,飢饉論と危機論との結合や飢饉の社会的・経済的・政治的な背景という多面的な見方を提供してきたことを整理している。
本書の対象地・上塩尻村は天明飢饉を教訓に深刻な事態を回避しえた非飢饉地帯である。飢饉克服には,百姓と領主との支配関係における米作とならんで一定の市場経済化(五穀市場の地域内・地域間流通市場)があったのではないかという。年貢米という視点からだけではなく,藩や村落内での救済秩序や養蚕などによる多様な市場経済活動が凶作・飢饉回避策につながったとする論点は,村落研究のひとつの到達点といえると思う。
災害ハザード,人口史,村の運営と対策,土地市場,備荒貯蓄政策と金融組織・融通講というコンパクトにまとまった叙述から,凶作や飢饉に立ち向かう地域や村や家族の実相が見えてくる。1830年代に日本を襲った天保の飢饉にたいする危機管理の成否は,為政者のみならず共同体成員の対応にも関係している。一村落の歴史経験から学ぶことは多い。

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    • 吉川徹著『学歴と格差・不平等――成熟する日本型学歴社会――』→https://akamac.hatenablog.com/entry/20070406/1175848906
      • 《一言自省録》学歴社会を歓迎をするものではないが,生涯にわたっての学ぶ機会の保証は重要だ。