1761岩倉博著『吉野原三郎の生涯ーー平和の意志 編集の力ーー』

書誌情報:花伝社,xvi+295頁,本体価格2,000円,2022年5月25日発行

吉野は『君たちはどう生きるか』の著者として,岩波書店『世界』の元編集長として知られている。『君たちはどう生きるか』は岩波文庫で長年にわたり読みつがれ,漫画になり,ジブリ作品となり,アカデミー長編アニメ映画賞を受賞した。また,『世界』は1946年創刊の月刊総合雑誌として知られ,「社会の多様性を反映した執筆陣とともに,いっそう身近で,血の通った雑誌を目指し,アカデミア・社会運動・ジャーナリズムを結んでいきますと四半世紀ぶりにリニューアルした(,2024年1月号から)。
本書は,『君たちはどう生きるか』の著者として知られてはいるが,「どう生きたのか」はあまり知られていない吉野の生涯を描いた作品である。『君たちはどう生きるか』は,「日本少国民文庫」(新潮社)の一冊として企画され,山本有三が執筆予定だった。ところが,山本が眼底出血を起こし網膜剥離の危険に見舞われたため吉野が筆を執り刊行されたものだ(山本有三名,1937年7月)。「東大助手丸山眞男も一読して感動し,常磐炭鉱の労働者たちは山代吉宗・巴(作家)夫妻を介して,これをテキストにして読者会を開くほどだった」(64ページ)。また,「新編 日本少国民文庫」(全12巻)の刊行のさいには(1956年),早慶戦から巨人・南海戦への変更やリンカーン「人民の父」の書き下ろしの事情もわかる。
岩波新書(1938年),『国富論岩波文庫版(大内兵衛訳,1940年),『世界』発行の経緯(同心会安倍能成監修のもと柳宗悦宅で誌名決定),戦後の岩波新書青版,岩波出版通信から『図書』への改名(1949年11月号から),岩波少年文庫誕生など出版事情も詳しい。ノーマン死去1周年に夫人からの申し出で印税をもとにした明治市研究学生へのノーマン賞が作られたことも初めて知った。
吉野は国際ジャーナリスト機構のIOJ賞を受賞した(1980年)。サンフランシスコ講和と安保問題,ベトナム戦争や核戦争の危機に直面しながら人間の尊厳と平和擁護に努力したことが評価されてのことだった。
告別式での古在由重の弔辞が引用されていた。「わが吉野原三郎君よ。ここに一粒の麦は地に落ちました。しかし,かならずや数しれぬ実がむすばれるにちがいありません」(269ページ)。