203塩田庄兵衛と戦後初の『共産党宣言』

東京都立大学立命館大学名誉教授の塩田庄兵衛が亡くなった(2009年3月20日)という新聞報を目にした。享年87歳。
塩田は『共産党宣言』を戦後初めて翻訳出版した。最初にあらわれたのは「解放文庫(1)」として戦前の堺利彦幸徳秋水訳(彰考書院)である。1945年12月20日初版発行,3万部,定価1円50銭(税共),発行者:藤岡淳吉である。さらに,「大正10年5月 堺利彦」と署名した「日本訳の序」をもつ「決定版」(1946年10月25日,改正定価金15円)がある。1953年3月発行の同書の帯には「本邦100万部突破記念廉価出版」とうたわれており,ベストセラーになった。ただし,訳文そのものは戦前のものである。松本・人民社,伊勢崎・民論社,金沢・青共石川地方委員会などでも同種のもの(パンフレット?)が発行されている。
戦後最初の新訳は,塩田のものである。志保田博彦訳『共産党宣言』(京都・新社会社,1946年7月)がそれだ。訳者名の志保田博彦は塩田のペンネームで,塩田と同音の夏目漱石草枕』の女主人公那美の姓を借り,幼少で病死した塩田の弟のものを借りたものだった。新社会社は,塩田と同窓(大河内一男演習の同窓生)である儀我壮一郎(のち大阪市立大学専修大学名誉教授)が興した出版社で,雑誌『新社会』発行と単行本も出版する計画をもっていた。『新社会』はカストリ雑誌となり,3号で廃刊になった。志保田訳はアドラツキー版『マルクスエンゲルス全集』(いわゆる旧メガ)に拠っている。大河内一男から借りたもので,校正刷には大河内も目を通したという。定価4円,5000部はたちまち売り切れ,追加の5000部が「厳正新訳,解説付」を扉につけて1948年に再版された。この版も売り切れたというが,用紙不足で再版どまりになった。印税は,1949年1月の総選挙で当選した谷口善太郎の選挙運動に使われた。
その後,ディーツ版に依拠した改訂新版が角川文庫版『共産党宣言』(1959年12月)である。塩田自身の記録によると,1974年6月時点で45版を重ねたという。
以上の事情は,塩田「『共産党宣言』の日本語訳をめぐって」(『科学と思想』第69号,1988年7月,新日本出版社【『科学と思想』は1971年6月創刊,1993年1月第87号終刊】)に詳しい。『共産党宣言』の翻訳史についての比較的最近のものとしては,大村泉・窪俊一・橋本直樹「『共産党宣言』普及史研究の到達点と課題(1)(2)」(『経済』第130号・第131号,2006年7月・8月),橋本「日本における『共産党宣言』の翻訳=影響史について」(『マルクス・エンゲルスマルクス主義研究』第47号,2006年10月)がある。大村など(2)に,志保田訳表紙の写真(白黒)と「『共産党宣言』邦訳史一覧」(後者については橋本稿に再掲)がある。