003宮川彰著『再生産論の基礎構造――理論発展史的接近――』

akamac2007-02-07

書誌情報:八朔社,1993年10月20日,xii+363頁,本体価格6,000円,ISBN:4938571412
初出:『 図書新聞』2193号, 1994年4月9日

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「再生産論フェティシズム」の超克を企図/資本循環論を扇の要とした再生産論成立史/問われるべきは資本循環論と再生産論の関係

マルクスの草稿をカバーデザインした斬新な表装。再生産論の形態規定や運動形式を徹底的に追究した内容。マルクス再生産論成立史研究の新しい地平を開く大著である。
再生産論は,戦前からの研究蓄積をもち,マルクス経済学研究者をしてたえず惹きつけてきたテーマである。「マルクス経済学の三大論争」のひとつとしての戦前段階における河上・福田論争=資本主義崩壊論争や戦後段階の恐慌基礎理論体系・産業循環をめぐる論争がその例である。本書は,「理論発展史的接近」による「再生産論の基礎構造の再構築と現代再生産論諸論争の全面的な洗い直し」(まえがき)を問題意識にすえ,「再生産論の徹底した歴史化=理論史化」(同上)を課題としたものである。
本書の視角と理論展開はきわめて明瞭である。再生産論を基礎づけ,再生産論の内容を規定するのは資本循環論である,とする理解を根幹にし,マルクス再生産論の確立にとって克服すべき論点((1)「スミスのドグマ」,(2)貨幣環流法則,(3)蓄積基金)をその資本循環論の確立過程の道程に配した。第1編「スミス<ドグマ>の射程」では(1)を,第2編「資本循環論の確立過程」では資本循環論と(2)を,第3編「マルクス再生産論の成立」では(2),(3),(1)そして資本循環論を,という具合に立体的な組み立てであり,本書に託した著者の息吹が伝わってくるようである。
ここでの論評もこの資本循環論に注目しよう。まず,再生産論の成立を論じるにあたって資本循環論を基軸にする意味,著者の言葉を借りれば「資本循環把握の熟成過程とそれに基礎づけられた再生産論発展史の統一的理解」(まえがき)について。マルクスを最晩年まで悩まし,ついに資本循環論の完成によってのみ最後通牒をつきつけることができたもの,それは古典派経済学を呪縛した「スミスのドグマ」(「v+mのドグマ」と呼ばないことに注意)であった。マルクス再生産論といえばとかくすればかのケネー「経済表」に範を仰いだマルクス「経済表」や再生産表式に目を奪われがちであるだけに(著者は「再生産論フェティシズム」としている),本書の研究史上における独自性はまずはこの「スミスのドグマ」の分析と資本循環論によるその批判との関係の解明にある。
さらに,本書が資本循環論を扇の要とした再生産論成立史であることによって,あらためて問われるべきは資本循環論と再生産論との関係である。本書によれば,再生産論の領域設定も再生産論の課題の明確化も再生産表式の部門配置もすべて資本循環論の成熟に依存するから,再生産論それ自体の意義は確実に相対化される。再生産論の基礎構造とは資本循環論にほかならない,と言っていいほど資本循環論の意味は重い。
このように,「再生産論の歴史化=理論史化」は,本書の論理を追うかぎり資本循環論の「歴史化=理論史化」とほぼひとしい,と読める。なるほど,再生産論を理解するには資本循環論が肝要である。だが,再生産論成立途上でのあれこれの表や表式の形式的類似をも一刀のもとに裁断できるほど,それらは形式だったろうか。形式に表出された内容はなかったろうか。たとえ「再生産論フェティシズム」と形容されようとも,評者がいますこしくこだわってみたい論点ではある。
資本循環論を基礎に,「スミスのドグマ」の解剖および再生産論の構造を明確化せんとした本書のこころみは,いずれにしても経済学史およびマルクス経済学双方の研究者を魅了してやまないだろう。それだけの内容をもった重厚な作品である。最後に,評者の専門にかかわって,先年には田添京二『サー・ジェイムズ・ステュアートの経済学』(1990年1月,ISBN:4938571099)を,今回は本書を上梓した八朔社の慧眼にも敬意を表しておきたい。