912熊野純彦著『マルクス 資本論の思考』

書誌情報:せりか書房,v+734頁,本体価格5,800円,2013年9月20日発行

マルクス資本論の思考

マルクス資本論の思考

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日本を代表する倫理学者・哲学者の『資本論』再読の書は,『資本論』同様読みごたえがあった。700ページをはるかに越える大著【「渾身の書き下ろし1500枚」(帯の惹句)】とはいえ,また,廣松渉と宇野理論に影響を受けたとはいえ,著者の『資本論』への誠実な読解は,この数年刊行された稀釈されたマルクス本とは完全に一線を画している。その姿勢は,「マルクスを読むとは,したがってなお,世界の現在を読みとくこと」(16ページ)・「現在の世界のなりたちを,その起源と歴史と現在とにおいて読みやぶること」(18ページ)・「「マルクスを読まないこと,読みなおさないこと」は「つねに過失 toujours une faute」(引用者注:デリダからの引用)となるはず」(713ページ)と確固としている。
資本論』第1巻と第2巻の内容を「資本の生成」と「資本の運動」に,同第3巻の内容を「資本の運動」にまとめ,たんなる解説ではない著者による『資本論』追思惟過程を詳しく刻み込んでいる。いわゆる「転形問題」についての本文での叙述を唯一の例外として,宇野理論を中心とする係争点と文献を注に落とし込み,著者の思考の流れを一貫させている。
「労働日」にたいする原論的読み方にたいして「『資本論』中の白眉」(195ページ)としてマルクス自身の描写を紹介し,「マルクスを読む,とりわけ『資本論』を読むとは,過酷な歴史過程への激烈な憤怒を,マルクスと共有することでもある」(同上)との理解は評者も「共有」する――地代論に関連しても,「それらの箇所(引用者注:『資本論』中の歴史的考察)を一般に原論体系から「はみ出した部分」と考えることは正当ではない」(579ページ)としている。また,資本循環論の扱いについては宇野理論への異議を込め「決定的な意味をもつ」(319ページ)として詳述している。地代と利子については宇野理論の理解にしたがって,利潤→地代→利子を論じる構成となっている。
評者の問題関心からすると,「労働の二重性」への言及とその問題性への言及がまったくなかったことが不思議だった。物神性論――本書では「フェティシズム」――,私的労働と社会的労働,生産手段の価値の保存とその移転――本書では「転位の条件――,「スミスのドグマ」批判,再生産表式の部門逆転に直結する問題群に擦ってはいるが関説しえない理由になっているように思える。商品が価値であるのはフェティシズムであり,地上の批判は天上の批判をふくみ,宗教の批判がいっさいの批判の前提であるとし,「具体的な商品が,抽象的人間労働の受肉,化身」(710ページ)だとする「労働に二重性」の核心を衝きながら,また,『資本論』の関連箇所の引用をしながら,「労働の二重性」そのものを明示していない。
わかったようでわからないマルクス本よりも,本書のような本格的なマルクス本を読んだほうがはるかにいい。著者の『資本論』との格闘は読むものをして知的興奮を呼び覚まさせてくることは疑いない。
(なお,MEGA の発行社を Dietz Verlag としているのは正確ではない(12ページの「凡例」)。現在は Akademie Verlag である。)