書誌情報:八朔社,1998年4月10日,iv+436頁,本体価格7,282円,ISBN:4938571714
初出:『図書新聞』2393号, 1998年6月13日
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いま,ようやく本当の『資本論』が甦る/「新世代」のみならず「旧世代」「新・新世代」への果敢な挑戦
「『資本論』研究史一般に対し,マルクス草稿利用またはMEGA公刊開始を機会に,『枠組みそのものの転換をも要請』する新世代」(宮崎犀一「戦後のマルクス経済学」経済学史学会編『日本の経済学――日本人の経済的思惟の軌跡――』東洋経済新報社,1984年11月,ISBN:449231153X)。著者は,かつてこう評されたことがある。丁度15年前の予言的言辞を見事に実証した一大労作が本書にほかならない。
新MEGAの編集史と『資本論』の理論的問題とを結びつけ,たんなる文献考証の領域から理論問題の領域にまで跨る地平を開拓した新機軸の著書といっていいだろう。書き下ろし2編を含め,最新の新MEGA編集の情報を集積し,理論的問題へ肉薄していく筆致は,読者をして科学する知性の醍醐味を実感させてくれるはずだ。オリジナル草稿解読,新MEGA編集を巡る論争,『資本論』の論点解決への志向。それらは本書をなす全11章のなかで重層的に取り上げられ,『資本論』の多様な理論宇宙が解き明かされる。
本書は新MEGA編集の貴重な資料も含めると内容的には4部からなる。(1)新MEGAの編集=刊行体制,新MEGA編集の現状を鳥瞰した部分(第1章),(2)新MEGA第2部「『資本論』および準備労作」を対象に編集史と理論成立史とを立体的に交錯させながら,研究史の争点を抉り積極的に自説の展開を試みた部分(第2章〜第9章),(3)マルクス主義普及史研究の一端を志向し,『資本論』第1部初版本とマルクス稀覯本の伝承を論じた部分(附篇の第10章・第11章),(4)新MEGAの編集状況一覧表などを収め,約30頁におよぶ最新情報を凝縮した部分(巻末の資料),がそれである。本書の圧巻は(2)にある。『経済学批判』草稿(1861-1863年)ノートXVI,XVIII記載の第3章「資本と利潤」にかかわる論点,通常「機械」論草稿と称せられる61-63年草稿ノートVの末尾とノートXIXとの関係をどうみるのかという論点など,マルクス草稿のスリリングともいえる解読を駆使としながらの立論は実に読みごたえがある。また,いくつかの留保を慎重に付しながら,マルクス・エンゲルスを理論発展史の坩堝に投げ入れ,ふたたびたえざる錬成の過程に配することによって,『資本論』成立の道程を丹念に追跡している。この種の専門書にありがちなペダンチックな論述と虚飾を排した淡々とさえ思える筆の運びは,著者の主題と格闘する真摯な姿勢を感じさせ,いかにも印象的である。著者によって照射され,吟味されたいくつかの論点は,著者みずからの基盤とした新MEGA編集と草稿研究の深まりによっては,いずれは再審を受ける可能性もあろうが,短時日に本書の水準を凌駕する体系的書物の出現は――モノグラフィーを別とすれば――ありそうもない。
「新MEGAで初めて公表された『資本論』関連草稿を考察の機軸に設定し,射程を『経済学批判』草稿(1861-1863年)から最新刊の『資本論』第3部主要草稿(1864-1865年)におき,かつ編集史に跳躍点をおいて理論問題を考察しようという試み,同時に新MEGA編集の現在を問い,さらにマルクス主義普及史研究の新たな可能性に言及する試みは,新MEGAの刊行が開始されて20年余の内外の研究史で,本書が最初であろう。」(「まえがき」)著者の自負は,決して誇張ではない。この国の戦前から続く重厚なマルクス研究の蓄積を体現し,新境地を開拓せんとした著者に連帯のエールを送りたい。その意味では極東の,とある一国でのみ通用するマイナーな言語だけでなく,ドイツ語を最有力とする欧米言語での公刊があってはじめて著者の自負が名実ともに内外で認知されることをも肝に銘じよう。
新MEGAの編集問題へのなみなみならぬ認識,精緻な草稿研究に裏打ちされた論証は,「新世代」のみならず「旧世代」および「新・新世代」への果敢な挑戦である。
新MEGA編集にいまやこの国の研究者の参画は不可欠であり,実際第2部編集には多くの研究者が校閲・編集に携わると聞く。マルクス・エンゲルス研究はいまようやくイデオロギーの呪縛から解放されて新しい時代をむかえる。本書はまさしくそうした時代を切り開く記念碑的著作である。