049高田保馬に関する2著

高田保馬佐賀北高校校歌」(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070821/1187688860)および「高田保馬と山田盛太郎」(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070822/1187775279)がらみで手許にある高田論を紹介する。
高田は生涯を通じて100冊をこえる著書と500点をこえる論文を書いた。著作目録は,高田保馬博士追想録刊行会編『高田保馬博士の生涯と学説』(創文社,1981年,[asin:B000J80YK4])にある(評者未見,下記八木著参照)。
八木紀一郎「社会的なるものの経済学への導入――高田保馬における経済と社会――」(八木『近代日本の社会経済学』筑摩書房,1999年5月,[asin:4480867074])は,福沢諭吉柳田国男河上肇石橋湛山,山田盛太郎,笠信太郎,柴田敬などとともに高田を取り上げ,「社会学・経済学において欧米の学者と対等の水準で交流しながらも,共同体的性格が濃厚な地方農村の住民(純農家ではなく神主の家柄であったが)としての生活感情を終生持ち続けていた」(129ページ)とする。「社会学と経済学の双方において日本の学界をリードし,創造的な仕事を遺した巨人」(145ページ)としながらも,戦時期に「ナイーブな民族周流・融合論」(同)に走ったことを,高田における市民社会概念の欠落にあったのではないかとまとめている。
池尾愛子著『日本の経済学――20世紀における国際化の歴史――』(名古屋大学出版会,2006年4月,[asin:4815805377])は,高田を「1930年代の日本の新古典派経済学者の中で最も重要な人物の1人」(88ページ)と高く評価している。また,池尾は,故ブロンフェンブレナーが高田を「日本のマーシャル」と呼んだこと(76ページ)や京都帝国大学時代の森嶋通夫に影響を与えたこと(129ページ)など各所で高田に言及している。本書については,本ブログで簡単に紹介した(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070502/1178100191)。