126橋本努著『自由に生きるとはどういうことか――戦後日本社会論――』

書誌情報:ちくま新書(689),269頁,本体価格780円,2007年11月10日

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この社会を自由に生きるとはいかなる意味があるのか。本書は,戦後の自由にかんする文化現象を特徴づけ,自由を希求する意味を問おうとした書物である。
著者は,自由論を,戦後直後から1940〜60年代,1960年代後半,1970〜80年代,1990年代,21世紀と時代区分し,それぞれ,エロスの自由,ロビンソン・クルーソー型自由と下からのスパルタ主義,疎外からの自由,権威からの自由(祭司的権力からの自由),母性による自己包摂型自由,創造としての自由をつかみだす。坂口安吾三島由紀夫小泉信三大塚久雄らを例にした1960年代までの文壇やアカデミズムの世界とそれ以降の大松博文,『あしたのジョー』,尾崎豊エヴァンゲリオンとが同じ土俵で論じられる。こうして自由論の倫理的基礎を確認して,ウェブ2.0時代のボボズやロハスに自由の新しい展開をみようという。
大塚やサブカルを論じるときこれらはそれぞれの時代の自由や精神状況を代表してはいないと留保をつけながら,自由論の一部を手際よく切り取った手法と節々に自由主義の規範理論を混合させる叙述は自由論の入門書としての本書を強く意識したものだ。
現代の自由論は社会変革の問題と絡むとするが,本書で描かれた各時代の自由の模索も社会との接点をもとめたすえの葛藤であったにちがいない。自由を論じるとはその時々の現象を叙述するだけでなく,1960年代までの自由論を批判的に検討したように,それら自由論になにが欠けていたのかも同時に示すことでなかったろうか。自由という名の円環をたださまよっているかのような自由論にみえる。最終章で紹介されている,われわれの潜在能力を開花させる制度と自生的な能力の獲得という著者の自生化プロジェクトの視点は,それまでの自由論の検討からの帰結と読み取り難い。