書誌情報:日本経済評論社,iv+248頁,本体価格2,800円,2010年1月13日発行
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内田を論じるモノグラフィーはいくつか見てきた。また,内田を含めたいわゆる市民社会論への関説も多い。本書が単行本としては初めての内田論である。
著者は本書の骨格をなす「内田義彦論――人間的平等の感覚に裏打ちされた市民社会論――」(鈴木信雄責任編『経済思想10 日本の経済思想2』,日本経済評論社,2006年,[isbn:9784818818781])を書いた直後本書の刊行を予告していた(日本経済評論社『評論』)。
内田の作品群の多くは11巻の著作集(岩波書店)に集約されており,文献発掘の苦労は存在しない。その分内田の全体像をどのような切り口でおさえるかがもっとも問われることになる。著者は内田の研究に内在し,作品群をほぼ時系列で追い,特徴を「人間的平等の感覚に裏打ちされた市民社会論」とまとめる。市民社会の構成員たるわれわれが学問的な試行錯誤を重ねながら自由人の連合へと成熟する可能性を執拗に追い続けた思想家とするのだ。
著者は,スミスを自然法思想家とすることについての内田への異論を挟みながら,スミスやマルクスの歴史認識をかれらの概念装置で説明する――『国富論』や『資本論』の理論的解釈や祖述とは無縁――内田の問題意識を詳述している。
内田の言葉を地の文に活かした叙述は読みやすくはないが,「才気煥発で多面的な思想家」(238ページ)内田のひとつの読み方として本書の意義は大きい。
内田が『経済学の生誕』の「あとがき」で,「イギリス経験論をのりこえること,しかもそれを経済学の深みにさかのぼっておこなうこと」を「研究の奥にあるテーマ」と書いた。あの一文に込めた内田の問題意識はその後の著作で実質的に果たしたのだろうか,それともそのままになっているのだろうか。
「内田は,1948年11月の『経済評論』(日本評論社)にN・N・Nという署名で,星野芳郎の技術論に言及しつつ,(中略)と書いている」(28ページ)と「N・N・N」=内田としている個所がある。これについては田添京二が「『経済評論』にNNNのペンネームで「『市場の理論』と『地代範疇』の危機」を内田さんの監閲の下で執筆する機会に恵まれた」(田添「『生誕』のころ」,「内田義彦著作集月報1」5ページ)とし,今では「NNN」=田添が定着している。ちなみに,「NNN」とは「なんにもならない」との意味を込めたとは内田本人から聞いたことがある。
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MacBook Air 11インチ欲しい!と書いたら当たるかもしれない。akamacに当てなかったら罰があたるだろう。