146アンドリュー・E・バーシェイ著(山田鋭夫訳)『近代日本の社会科学――丸山眞男と宇野弘蔵の射程――』

書誌情報:NTT出版,x+388頁,本体価格4,200円,2007年3月20日

近代日本の社会科学―丸山眞男と宇野弘蔵の射程

近代日本の社会科学―丸山眞男と宇野弘蔵の射程

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日本が後発帝国と出発したことによって,日本の社会科学は「発展的疎外 (developmental alienation)」となる。これは日本だけでなく,同じく後発性や後進性によって条件づけられたドイツとロシアも同様である。「環大西洋」諸国をモデルとしながら,日本(と社会科学)の発展は疎外されていた。特殊と普遍との関連,特殊としてしか貫徹しえない普遍。――本書はこうした理解をもとに,近代日本の社会科学思想の特徴を,山田盛太郎,宇野弘蔵(および宇野理論),丸山眞男(および内田義彦,平田清明をふくめた市民社会論)から読み取ろうとした意欲的な書物である。著者は「きわめて堪能な日本語スピーカー」(「訳者あとがき」)ということもあり,多くの日本語文献を渉猟し,咀嚼している。
山田は,「コミンテルンと結びついた講座派」(89ページ)であり,非資本主義的資本主義を強調した代表的論者として取り上げられる。講座派的特殊性論者の山田は,晦渋な文章ながらテキストを通して戦前期資本主義を可視化することに成功したが,封建遺制の残存を強調することは日本的「家族国家」の否定的に反復することにつながったとする。
宇野は,労農派的普遍論者につらなり,スターリン主義への反発をてこに科学とイデオロギーを分離する原理論の純化をはたした。しかし,「無情な資本主義というメタ主体の科学的描写」(292ページ)であるがゆえに,「現状分析」の最終的課題にしたがって宇野派は分解することになった。著者は,宇野のみならず第2世代以降の宇野派についても紙数を割くとともに,「急進左派学生」の理論的支柱となった理由を叙述している。
丸山は,体系としてのマルクス主義にコミットするのを自制させ,国体イデオロギーを批判する近代主義者の代表として取り上げられる。日本の近代と民主主義を実現する姿勢は,日本における普遍の実現としてある。しかし,丸山は,「精神はユートピア的だが,日本の社会構造の「深部」における自己転換能力については悲観論者」=「ユートピア的悲観論者」(285ページ)であったとする。
近代日本の社会科学はかくして「「他者としての他者」に呼びかけ,自己を「他者」とすることによって,集団的な自己理解を広げていくこと」(304ページ)に繋がる。「透明で理解可能な方法」(同)を獲得するための「発展的疎外」だったのだ。
著者の宇野理論についての言及は宇野自身から学派への広がりがある。宇野派の分解を描くのに急で,三段階論相互の理解や歴史研究への言及は十分とはいえない。また,丸山はじめ内田,平田など市民社会論も射程にとらえているが,山田が農地改革の歴史的意義について高く評価していたことや戦後農政に関する言及を含む戦後段階での展開については分析がない。著者の視点の先には宇野より山田があり,本書のサブタイトルは適切とはいえまい。
それでも日本の社会科学思想史について外国人によって書かれた良質の著書といっていいだろう。

  • 追記(2008年1月18日)

原著タイトルのサブタイトルは 'The Marxian and Modernist Traditions' である。翻訳のサブタイトルは訳者による。2007年には原著のペーパーバック版が出た。