147フランソワ・フュレ著(楠瀬正浩訳)『幻想の過去――20世紀の全体主義――』

書誌情報:バジリコ,721+8頁,本体価格5,500円,2007年9月4日

幻想の過去―20世紀の全体主義

幻想の過去―20世紀の全体主義

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2段組でこのページである。重さはちょうど1kgあった。20世紀をソ連邦の成立とその崩壊の時代として描き,幻想の歴史だったことを執拗に追求した。ヨーロッパの辺境で生じたロシア革命(本書では「エキセントリックな出来事」と表現)は,それゆえフランス革命との連続を主張することによって,過去の特殊な限定から解放され普遍的な出来事になった。1930年代以降のファシズムは民主主義が産み出した「末子」である。コミュニズムファシズムとは全体主義として括られ,コミュニズムの「収容所群島」はファシズムに先行し,体制消滅の20世紀末まで維持された点でファシズムより罪が重いことになる。
コミュニズムの独裁的性格はスターリン以後強まったとされ,かつ,ファシズム打倒のための反ファシズム統一戦線はコミュニズムに乗せられてしまい,第2次世界大戦後はコミュニズムが民主主義勢力の一翼であるとの幻想がさらに強まってしまったというのである。ソ連から自立しようとした東欧諸国の動きも,また資本主義国でのコミュニズムの志向も,コミュニズムが持つ階級独裁と反民主主義によって叶わぬ夢となった。
コミュニズム全体主義批判よりもまんまとコミュニズム陣営に与した知識人批判と読めなくもない。反ファシズム統一戦線や戦後のソ連に期待をもった知識人(とくにフランスの)はコミュニズムに幻想を振りまいたことではコミュニズム以上に責任があることになる。マルクス主義と民主主義,人権思想とはそもそも両立しないというのが著者の立場だからだ。中国,キューバなどのコミュニズムやこれから出現するかもしれないコミュニズム(原著は1995年の出版)もソ連の実験の失敗によって未来はない。
本書のソ連観やスターリン評価は,本エントリーで触れたことがある,エレーヌ・カレール=ダンコース著(石崎晴巳・東松秀雄訳)『レーニンとは何だったか』(→http://d.hatena.ne.jp/akamac/20070426/1177579843)を想起させる。著者にとって20世紀とはコミュニズムの壮大な失敗の100年である。著者がその失敗の後に見いだしたことは,民主主義,および人権と市場の再発見だ。
本書のあちこちに見られるスラブ圏でフランス革命の正当性を問うことはできないかのようなヨーロッパ(フランス)中心主義は,フランス革命研究者にして,かつプライド高いフランス人の矜恃か。同時に,ファシズムの言及はヨーロッパに限られ,枢軸国であった日本についての分析はない。これも極東の島国の一特殊例としか見ていないからではないかと憶測してしまう。大著のゆえか,原書にある夥しい文献について,邦語訳への参照が一切ないし,ない理由も述べていない。帯に謳う「現代政治思想史の労作,遂に完訳・刊行」は「幻想」というしかない。