書誌情報:文春新書(655),251頁,本体価格770円,2008年9月20日発行
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著者は本書を通して東京養育院(1872[明治5]年設立,1997[平成9]年閉鎖)の盛衰を追った。かつては「こじき病院」とか「人殺し院」と蔑まれ,「日本の福祉の柱」とも称された東京養育院は,設立当初から「非人」組織を不可欠としていた。東京養育院の前身のひとつに三田救育所がある。現在の慶応義塾大学三田キャンパス(肥前島原藩邸跡)とNEC本社のあいだにおかれた(徳島藩邸と挙母藩邸跡の敷地にあたる。ちなみに,三田キャンパスの北にあるイタリア大使館は伊予松山藩邸跡である。)。その後麹町と高輪にも救育所ができる。
救育所を運用するには金がかかる。維新政府が目をつけたのは寛政年間から飢饉用にため込まれた「七分金積立」である。江戸町会所,営繕会議所が緊急用基金をもとに,一方では三井や小野などや日本初の製靴工場をおこした西村勝三のような新興ブルジョアの資金として,他方では養育院,東京府庁の建築,商法講習所(のちの一橋大学)の設立や運営にあてられた。
東京養育院は上野,神田和泉町,本所長岡,大塚,板橋(現東京都老人医療センター付近)などと転ずる。このなかにあって,養育院の運営と維持に奔走したのが渋沢栄一である。養育院の初期のころから事務にかかわり,一時は70の銀行や会社の重役を兼務し,王子製紙など500の会社設立にかかわった。実業家としてのみならず,半世紀以上57年にわたって貧民救済事業にもかかわったことになる。
渋沢以外にも,岡山孤児院の石井十次,救世軍の山室軍平,神戸購買組合の賀川豊彦にも触れられ,日本の近代化が貧民問題との対峙と無縁でなかったことを物語っている。
さきに紹介した河畠修著『福祉史を歩く――東京・明治――』(https://akamac.hatenablog.com/entry/20080909/1220940180)は福祉史の観点から貧民問題を扱った。本書はいわゆる資本の原始的蓄積期からはじまる資本主義の歩みとともに貧民問題を照射したもの。貧民や貧困からわれわれはまだ自由になっていない。「貧民の帝都」は現代の物語でもある。