書誌情報:ナカニシヤ出版,vii+345頁,本体価格4,500円,2008年8月5日発行
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編者のひとり矢野による「終章 論争の精神」は,「羽入 - 折原論争」でのなんともいえない評者の嫌悪感を代弁してくれているようだ。矢野は,論証理論で歓迎すべきでない論証を,対人攻撃をともなった論証(アド・ホミネムの推論)として整理している。
ひとつは,直接的に発言者の人格にたいして非難を加えること。アホ,未熟者,異常者,詐欺師などとレッテルを張り,入口で相手の知的能力や資格そのものを批判してしまえばいい。
ふたつに,相手の人格属性をもとに歪んだ動機を批判すること。生得的な属性(人種やジェンダー),思想信条上の属性,年齢的な属性,利害関係上の属性などによってレッテルを使う。
みっつに,言動の不一致を衝き,議論そのものを否定してしまうこと。
矢野は同時に「群衆の叡智」の可能性についてもまとめている。
アド・ホミネムを剥ぎ取った論点整理と論争のための共通空間の提起は,「羽入 - 折原論争」の真摯な受容のひとつだろう。
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