本ブログのエントリー「労研饅頭」(→https://akamac.hatenablog.com/entry/20090215/1234681099)が縁で,埋もれていた歴史の一端が浮かび上がった。
近代史文庫例会「労研饅頭のはなし」(2009年2月14日)を話題にしつつ,1930年代に中国人林樹宝が技術指導したこと,その後の林の足跡は不明であることを書いたのだった。おおよそ2ヶ月後,劉偲林(りゅう・しりん)さんから記事へのコメントとメールがあり,林の曾孫(母方の祖父)にあたること,九州大学大学院で学んでいることが記されてあった。
その頃たまたま研究室に来られた愛媛新聞社会部記者の坂本さんに話したところ,興味を持たれた。坂本さんは,労研饅頭の製造・販売元「たけうち」で林の写真を見つけ,さらに劉さんと同居しているお母さん(林頴・りんえい)とのインタビューをおこなった。先週7月28日(火)のことだった。あいにくすでに予定があり,残念ながら同行できなかった。林頴さん親子は「たけうち」のと同じ写真を持っておられたようだ。ほかにも林樹宝夫婦や家族写真などこれまで日本ではまったく知られていなかった林樹宝のその後がようやくわかってきた。
愛媛新聞の記事では,林樹宝の子孫が日本にいるということに焦点を当てたもの。「今年4月,九州大大学院でデザインを学ぶ劉さんが,林頴さんから,曾祖父が日本で饅頭をつくっていたことを聞き,軽い気持ちで「林樹宝」「労働科学研究所」をキーワードにインターネットで検索したところ,労研饅頭についての講演をまとめたブログ(本ブログエントリー「労研饅頭」:引用者注)にヒット,埋もれていた歴史発掘につながった。(改行)劉さんは「曾祖父の名が語り継がれていることや,労研饅頭が今も松山の人たちに愛されていることに感動した」と,その時の興奮を振り返る。」
今回林頴さん親子の証言と資料から,林樹宝が上海からではなく大連から,料理人ではなく研究者として招かれたことがわかった。
いやはや,饅頭こわい。
(記事の原寸はほぼA4版。スキャンしてかつ縮小したもの。左上は,「たけうち」に残っている林樹宝の写真で,1931年10月ごろ松山市永木町にあった松山夜学校前の労研饅頭の製造工場でのもの。右下は,孫の林頴さん(左)と曾孫の劉偲林さん(右)。7月28日福岡でのスナップ。)