492奥村宏著『経済学は死んだのか』

書誌情報:平凡社新書(521),206頁,本体価格760円,2010年4月15日発行

新書521経済学は死んだのか (平凡社新書)

新書521経済学は死んだのか (平凡社新書)

  • 作者:奥村 宏
  • 発売日: 2010/04/15
  • メディア: 新書

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日本のマルクス経済学は『資本論』解釈学に全精力を注いでおり,「現実に起こっている問題について関心を失っているか,あるいは関心があっても,現実から理論を作り出していくことができない」。他方,近代経済学者も「アメリカで作られた理論をいち早く日本に輸入して,それを解説し,学生に教えるということをもって職業としてきた」(以上,38〜39ページ)。著者が指摘するようなマルクス経済学者と近代経済学者はたしかにいる。すべてではないことをもって著者の立論に反駁するつもりはない。
著者の立論は経済学という総称で捉え,その課題を「経済の現実について自分で調査,研究する中で,そこから新しい理論を作り出していくことが必要である」(85ページ)と押さえるかぎりではまったく正しい。しかし,例えば評者の「経済学史」の分野で「新しい理論を作れ」と言われても無理な話だ。いや現実とまったく無縁なところで訓詁学に勤しむという意味ではない。かつて書いたように「経済学史は経済学の著者・著作を相手に(つまり間接的に)過去の時代と対面する。その時,われわれは著者の思考を執拗に追いながらも(追思惟),それをときには論争者によって,ときには歴史資料によって相対化する作業も同時におこなう。こうすることによってはじめて経済学史は研究といえる。対象は過去であっても,必要なのは現実に生きる場合と同様,確信と検証である。生きた現実だけが現実ではない。」(経済学史研究の集成と現代→https://akamac.hatenablog.com/entry/20070312/1173693933)さもないと「経済の現実」を対象にしない経済学――経済学史や経済史,経営史など――の意味がまったくなくなる。
著者の法人資本主義論や株式会社論にそくして「現実を調査,研究するだけでなく,このような哲学的考察(アリストテレススピノザデカルトなど:引用者注)や歴史の研究も欠かせないし,その他の関連した分野の研究も必要」(153ページ)とも言う。
「輸入経済学と古典解釈をもって職業としてきた経済学者」(205ページ)への警鐘を言い現実の上に立った「新しい経済学」の開始という正しい総論を主張するあまり,個々の経済学の営為との区別と関連を曖昧にすべきではない。