566野見山暁治・窪島誠一郎著『無言館はなぜつくられたのか』

書誌情報:かもがわ出版218頁,本体価格1,600円,2010年6月6日発行

無言館はなぜつくられたのか

無言館はなぜつくられたのか

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信州・上田にある無言館は,窪島の私設美術館・信濃デッサン館の分館として開館した。1997年5月2日のことである。戦没画学生108名の200点におよぶ遺作,遺品,資料などが展示されている。
評者は1999年8月鑑賞したことがある。当時は入館料システムではなく鑑賞した後の寄付を募るやり方をしていた。また,第二展示館もなかった(2009年9月21日開館)。戦没画学生の作品とあって,作品の出来映えに鑑賞する前からの思い入れが交錯する感覚を経験した。本書にも綴られている宇和島出身・中川勝吉の作品「風景(道)」はいまでも憶えている。尾田龍馬も宇和島中学の出身だった。彼の「自画像」からは意志の強さを感じた。
開館に尽力したふたりの対談はそうした無言館が放つ独特の雰囲気を回想しながら語っている。画学生は絵を描きたいという思いで精一杯描いた。作品自体は反戦や平和を表現していない。しかし,「自分が彼らの絵の前に立ったときには,ただ頭をたれて絵を見ているしかない」(144ページ)。意識のどこかで死を意識し,切羽詰まった思いをキャンパスにぶつけたからである。
無言館が戦没画学生慰霊美術館であることは同時に反戦美術館や平和祈念美術館であることを意味しない。「(無言館の)一番の存在意義は彼らの作品を「遺品」から「作品」に転化させたこと」(167ページ)にある。
「永劫に動かない無言館の死者の眼差しが,他愛なく時代に押し流されてゆく僕たちを,じっと見つめているような気がしてならん」(212ページ)という野見山の述懐はよくわかる。