730宮台真司・辻泉・岡井崇之編『「男らしさ」の快楽――ポピュラー文化からみたその実態――』

書誌情報:勁草書房,xiv+294+xxix頁,本体価格2,800円,2009年9月25日発行

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鉄道模型クラブに集う MIT の面々がのちにインターネットにおけるハッカーの源流になったように,「「男のロマン」が役に立つような「方向転換」はあり得るのではないだろうか」(242ページ)。男のおしゃれ,格闘技,ラグビー,ホストクラブ,性風俗,オーディオ,鉄道,ロック音楽など多様な「男らしさ」の経験と調査からその肯定と否定とを炙りだしている。
三次元アプローチ(「自己=身体性」,「集団=関係性」,「社会=超越性」)によるポピュラー文化研究であり,挙げた事例はそれぞれのアプローチにおける一事例の位置づけとなる。「自己=身体性」には男のおしゃれ,格闘技が,「集団=関係性」にはラグビー,ホストクラブ,性風俗が,「社会=超越性」にはオーディオ,鉄道,ロック音楽がそれぞれ分析装置である。各人の快楽がバラバラになっていく「島宇宙化」現象,関心事を支える異質な他者と渡り合う「集団=関係性」の「専制」,男のロマンを支えたオタク的興味の閉鎖性と孤立性による「社会=超越性」の「失効」が宮台「理論」に即して語られる。
「男らしく+群れよ」。「(若者たちが)内包する既存の「男らしさ」をある程度基盤にして「群れ」つつ「男らしさ」を内部からずらすような「処方箋」こそ現実的」(284ページ)というのは,男という鎧を一気に脱ぎ捨てるのではなく,男世界の場という「ホモソーシャリティ」から出発しようということだ。「社会=超越性」が崩れたからには男の磁場から人としてのスキルを磨けというのは,社会学の分析装置を散りばめてはいるが,余の男たちへの処方箋である。
フェミニズムを論じるのに女であることを必要としない。男を論じるのに男であることを必要としない。複数の女性執筆者を加えた「男論」(とくに男のおしゃれと「エッチごっこ」)は切れがある。