1121香川めい・児玉英靖・相澤真一著『〈高卒当然社会〉の戦後史――誰でも高校に通える社会は維持できるのか――』

書誌情報:新曜社,iv+226頁,本体価格2,300円,2014年7月22日発行

〈高卒当然社会〉の戦後史

〈高卒当然社会〉の戦後史

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「十五の春は泣かせない」とはちょうど団塊世代が高校入学を迎え,高校に入ることが狭き門になった40年ほど前に人口に膾炙した言葉である。高校全入運動はそれゆえ日教組のスローガンを超えて広く国民の高校増設要求に昇華したと理解できるだろう。
新制高校の設置は占領軍の意向によって共学・総合制・小学区制という「高校三原則」の実施を旨とするものだった。この原則をどこまで厳格に実施するかどうかは都道府県によってばらつきがある。北関東や東北南部に公立でありながら男女別学があったし,蜷川「民主府政」まで原則を実施した京都をみればよくわかる。
著者たちは高校を卒業して社会にでるのが〈当然〉と受容されるにいたった日本の後期中等教育機関の変容を,「全入主義」と「適格者主義」との対抗関係および公立と私立への棲み分け政策から分析している。「私立高校による高校生の収容比率がこの時期に(1965年までに:引用者注)高まっていなかったならば,日本の高度経済成長期前半における高校進学率はほとんど上昇しなかったか,あるいは政府が巨額の教育費支出の追加負担を迫られていたか,どちらか」(58ページ)・「日本の高校教育拡大は,家計負担に依存した「安上がりの教育拡大」」(同)だった。
〈高卒当然社会〉を実現した「高校機会の提供構造」は都道府県によって異なっている。本書は,『学校基本調査』のデータ分析から,「中庸型クラスター」(16道県),「公立拡張型クラスター」(6県),「私立拡張型クラスター」(19県),「大都市型クラスター」(5都府県)の4類型によって人口増大期の特徴をまとめ,人口縮小期を迎える対応を間違えれば〈高卒当然社会〉の存続も危うくなると論じている。そして現在,「全入主義」と「適格者主義」との対抗関係が再燃していること,公立の統廃合・私立閉校と特権的な私学志向が顕在化していること,公立高校の私学化による受験競争の激化が進行していることを指摘している。
〈高卒当然社会〉が自然に成立してきたのではない。学校教育制度は国の文教政策そのものなのである。