「1894年春,朝鮮で悪政を打破して侵略を阻止するために,宗教結社の東学などが指導する大規模な甲午農民戦争がおこった。朝鮮政府が清国に出兵を求めると,日本もただちに朝鮮に出兵した。外国の侵略を警戒して農民軍は朝鮮政府と和解し,朝鮮政府は日本に軍隊の撤退を求めた。しかし,日本は清国の拒否をみこして,日清共同で朝鮮の内政改革にあたることを清国に提案し,軍隊を居座らせた。さらに,7月23日,日本軍は朝鮮王宮に攻め込んで占領し,国王らを監禁して親日派の政府をつくった。そして,この政府に清国を宗主国とする関係をたつことを宣言させた。7月25日,日本は清国の軍艦を攻撃し,8月1日,清国に宣戦布告した(日清戦争)。(改行)日本は朝鮮を戦場とし,改革を名目に内政に干渉して朝鮮を日本に従属させようとした。日本軍は朝鮮各地で食糧や物資,人馬を強制的に挑発しながら戦争をすすめた。朝鮮の民衆は各地で日本軍に抵抗し,秋には農民軍がふたたび蜂起した。朝鮮政府軍と日本軍はこれを弾圧した」(『高校日本史B』実教出版社,2015年度版)。
日本軍が朝鮮王宮に攻め込み,農民軍を弾圧したことに触れた教科書はこの実教出版社のみである。ただし,日本はこの弾圧を無視しているし,ましてや皆殺し作戦であったことは既知ではない。さらに,作戦遂行の中核が四国各県から招集された兵士で編成された後備歩兵第19大隊であったことも同様である。中塚明・井上勝生・朴孟洙著『東学農民戦争と日本』(高文研,2013年,[isbn:9784874985168])と井上勝生『明治日本の植民地支配――北海道から朝鮮へ ――』(岩波書店,2013年,[isbn:9784000291118])は例外をなす研究である。
井上が発掘した後備歩兵第19大隊および第10聯隊に招集された兵士の日誌をもとに松山に関連する事項を検証した研究がある。柳瀬一秀「東学農民軍殲滅に徴兵された二人の「従軍日誌」における「松山の足跡」」(近代史文庫『えひめ近代史研究』第69号,2015年10月,所収)である。また徴兵兵士の子孫が2014年にソウル市で開かれた東学農民革命120周年記念式に参加した様子を報告したのが,尾上敏子「東学農民革命120周年記念式に参加して」(同上)である。
東学革命という名称は韓国において1960年代になって公認され,1980年代には近代民族運動の原点と位置づけられている。2004年になってようやく名誉回復のための特別法が制定されるにいたっている。110年経って東学農民軍兵士とその遺族たちは名誉を回復したのだった。
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