1803高橋敏夫著『藤沢周平の言葉ーーひとの心にそっとよりそうーー』

書誌情報:角川SSC新書(072),221頁,本体価格780円,2009年5月24日発行

母と妹を惨殺した張本人水野播磨守はいま病の床についている。「(前略)玄次郎の眼には,頭も上げられない瀕死の老人の姿が残っている。長い間胸の奥に,いつかはあばきたててやると思い続けてきた奸悪なたくらみの正体が,あの弱々しい老人だったことに,むなしさを感じていた。(改行)いずれはああいう姿になる運命だとは思いもしないで,人は権勢に奢り,富貴に奢って人もなげに振舞い,その地位や金を守るためにはひと殺しもするのだ。(改行)ーーーー人間,おしなべてあわれていうことか。」(154〜155ページから孫引き,『霧の果て 神谷玄次郎捕物控』)。
評者の頭に浮かんでいるのは「権勢に奢」るある政治家である。いまはばれなくてもその「奸悪なたくらみ」はいつかはばれる。たしかに藤沢周平の作品からは「「言葉」というより,「情景や場面をつくりだす,ひとつらなりの言葉」」(13ページ)を感じる。歴史小説のあらゆるジャンルに挑戦しながら,その視線は武家秩序にではなく市井にあった。
暗さからのちのほのかな明るさの加わる藤沢作品からいくつかの言葉を選び,市井小説だったからこそ時代を超えてわれわれの物語であることを知る。武士道の滅私奉公ぶりの告発を読み取り藤沢の「ラディカルな民主主義者」の特徴づけは外れてはいない。