008『資本論』,そして「労働日」――経済学対話――

初出:旬報社,『ポリティーク』第2号,2001年9月25日,ISBN:4845107074

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はじめに
四月の某日大学の二回生のAさん(女子学生)とB君(男子学生)が,中年真っ盛りの僕の研究室を訪れました。二人の学生はあるサークルに加入し,フィールドワークを中心にさまざまな活動に取り組んでいます。サークルでは若手のW助教授の熱心な指導のもと,ある県に建設計画が進んでいるダムの是非,瀬戸内に浮かぶ島の産業廃棄物問題,吉野川の河口堰問題などをとりあげ,資料の収集・分析や現地調査をやってきました。また,松本サリン事件の「被害者」である河野さんの講演会を開いたりもしてきました。
W助教授からこれからさらに問題を深め,きっちりした視点をもつためには社会科学とりわけ経済学の古典を読んだほうがいいとアドバイスがあり,『資本論』の翻訳に参加したことがある僕を訪れたというわけです。

マルクスと『資本論
Aさん 先生の講義「経済学史」を受講しています。オヤジギャクを連発するという噂がありましたが,いたってまじめな講義ですね。
赤間 そうですか。まだ始まったばかりだしね。講義は今通史的な部分で,経済学の歴史の大きな流れをつかもうという内容です。スミス,リカードウ,マルクスケインズなどはじめて聞く名前ではないはずだけど,どうですか?
B君 僕も受講しています。高校の時に聞いたことがあるけどそれっきりです。マルクスが経済学者だなんてはじめて知りました。
赤間 すでに講義で触れたから,マルクスの主著がなんであるかはわかりますね。
Aさん ええ。『資本論』です。
赤間 飲み会が盛会,澱(よど)んだ政界,正解です。
Aさん 寒いっ!
赤間 じつは中学段階で習っているんですよ。この前,中学三年の娘の教科書を見ていたら,スミス,マルクスの名前が出ている。簡単な説明だけなので記憶に残らないのも無理ないと思う。たとえば,「アダム・スミスは,『諸国民の富』で国家による管理に反対して経済の自由放任を主張した」(東京書籍『新編 新しい社会 歴史』)とあるし,マルクスについても説明がある。「1848年には,全ヨーロッパで民族の自立や立憲政治,そして社会主義を求める革命と反乱があふれた。革命家マルクスらは『共産党宣言』をあらわし,労働者が団結して新しい社会を実現すべきことを説いた。」(同上)
教科書とともに使う資料集には二人とも写真入りで解説もされている。マルクスについては『共産党宣言』がエンゲルスとの共著であること,さらに「ロンドンに亡命して『資本論』を著し,資本主義経済を分析した」(ベネッセ『最新中学歴史資料集』)とあり,『資本論』が出てきますよ。
余談だけど,この資料集のスミスの説明で,「経済学をはじめて体系化し,『国富論』(こっちは『国富論』とあり,『諸国民の富』と違う書物と思ってしまう:赤間注)で資本家が自由に経済活動をし,政治家(これに注意!:赤間注)は介入すべきでないという,自由主義経済思想の基礎を築いた。この書はその後の経済学の古典的名著となった。」(同上)これを書いた人は今の政治に不満があるんだろうね,きっと。澱んだ政界は,中学の資料の解説まで悪影響を及ぼしている。
B君 駄洒落を合理化しているような。
赤間 そういえば,市販本『新しい歴史教科書』(扶桑社,2001年6月発行,ISBN:4594031552)には,スミスもマルクスも出てこない。「マルクス主義」という言葉は三箇所出てくるけどね。この教科書の資料集がどうなるかも興味をひく。
うまくまるめこんだところで話をかえましょう。おふたりの用件は,『資本論』を読むための予備知識をえたいということでしたね。
B君 そうです。なにしろ分厚い本だというし,どこからどのように読んだらいいか,見当がつきません。どんな翻訳書があるのかなども教えて欲しいのです。
赤間 まず,なぜいま『資本論』か,からはじめましょう。僕は21世紀に入ったいまだからこそ『資本論』を読んで欲しいと思っています。ひとつは,すくなくともいまは『資本論』を読むことと党派性やイデオロギーとは切り離せなかった,という時代ではないからです。知的対象のひとつとして気軽に読んでみてはという提案です。ふたつめは,インターネットを通じて『資本論』をはじめてとしてマルクスの各種文献は自由に読むことができます。日本語文献がほとんどないのが残念です。
この意味で(書かれた時期はすこし古いですが)加藤周一さんの次の言葉は至言といえます。「もし,いま私たちが生きている世界の全体を,あまり大きな偏見なしに,あまり大きな誤解もなしに,どうにかわかろうと思えば,最小限度の一つとして,少なくともマルクスの本の大切な部分を,いくらかていねいに読んでみることが必要だろう」と(引用は岩波現代文庫版『読書術』54頁,asin:400603024X
Aさん 原書で読みたいとは思うけど,やはり日本語で読めないとバリアが高いですよ。
赤間 さしあたりは日本語からというのは当然ですね。新日本出版社から新書版と上製版の両方が出ていますから,財布の中味に応じて買い求めたらいいと思います。最新の草稿研究の成果も反映されています。

資本論』をどう読むか
Aさん この前本屋さんでペラペラめくってみたらいかにも難しそうだった。
赤間 確かにね。新書版でも13冊,上製版でも5冊(ほかに索引1冊)あるからよほどの覚悟がいると思ってしまいます。でも読み方は工夫できます。評判になった野口悠紀雄さんの『「超」勉強法』(講談社,1995年,asin:4062076012;文庫版,2001年,asin:406264827X)のなかで「パラシュート勉強法」を提案していましたね。一言でいえば,興味のあるところから,あるいはわかりやすいところから勉強するということでした。実はマルクスもこれと同じことを言っています。クーゲルマンという人に宛てた手紙のなかで,「奥さんには,さしあたり読めるところとしては,『労働日』,『協業,分業,機械』に関する個所,最後に『本源的蓄積』に関する個所を指示してあげて下さい」と。『資本論』第1巻の第3篇第8章「労働日」,第4篇第11章「協業」,同第12章「分業とマニュファクチュア」,同第13章「機械と大工業」,それと第7編第24章「いわゆる本源的蓄積」を最初に読んだらいいとアドバイスしているわけです。この部分は,『資本論』のなかでも歴史的事実を叙述している個所ですから,まずとっつきやすいという面といま生きている現実を思い浮かべながら読むことができるという面があります。
もちろん,「すべて最初は難しい」のことわざを覚悟のうえで読むというのも捨てがたい。詳細な『資本論』の注解を書いたローゼンベルグという人は,「マルクスの方法を体得する最良の方法は,『資本論』を体系的に研究することであり,どこもとばさずに,ページを追い,章を追って読むこと」と述べています。マルクスも「第1章,ことに商品の分析を収める節(現行版の第1章にあたる:赤間注)の理解は,もっとも困難であろう」(新日本出版社上製版『資本論』Ia,7ページ)も言っています。『資本論』は労働者階級の解放のために書かれた書物です。ローゼンベルグの方法は正しい方法であることはまちがいありません。読みやすいところから読み,『資本論』に興味をおぼえてからあらためて通読してみてもいいのです。
僕はよく『資本論』は「するめ」と同じと言ってます。
B君 どういうことですか?
赤間 おじんくさいけど,「するめ」は噛めば噛むほど味が出てきますね。『資本論』は読めば読むほど味が出てくる。というわけで,『資本論』=「するめ」。まあ,おふたりの世代だと,「するめ」を買ってきて,酒盛りなど「するめ」とは思いますが。
Aさん,B君 ・・・。
赤間 無言でしたね。とくに『資本論』のような書物になればなるほど,いきつもどりつ,くりかえしの学びが不可欠です。

「労働日」と労働時間
B君 「労働日」の章から読めというのはわかりました。ところで,初歩的な質問ですが,「労働日」ってなんですか?
赤間 われわれ人間の一日の生活時間は24時間ですね。これは自然日で変えようがありません。この24時間のうち,労働時間の絶対的大きさを労働日 (working day) といいます。一日の労働時間のことを労働日というわけです。
Aさん このように規定することにどんな意味があるのでしょうか? 労働時間といってしまえば済むような感じがします。
赤間 いい着眼ですね。もともと労働力をその日ごとに買ったという事実をふまえながら,労働日は不変ではなく可変だという内容にかかわってくるのです。労働日は,「必要労働と剰余労働との合計,すなわち労働者が彼の労働力の補填価値を生産する時間と剰余価値を生産する時間との合計」(同上,392頁)と言っているように,ふたつの可変的労働時間によって規定されています。一日の労働時間を長くする,あるいは,同じ労働時間でも必要労働時間と剰余労働時間の比率を変える。このことによって,剰余価値を多くえることができることになります。
B君 労働時間は現在は8時間労働制になっていますね。
赤間 でも資本主義の最初からそうだったわけではないですね。一日12時間〜16時間も強制されていた時代がありました。10時間労働が法制化されたのは1847年ですから,遠い昔の話ではありません。ましてや,過労死が社会問題になり,KAROSHIが国際語にまでなったお国柄ですから,現在の問題でもあるといえるでしょう。長時間労働(超長時間労働というべきでしょうか)や女子保護規定の撤廃を盛り込んだ労働基準法を思えば,この労働日の章は歴史的事実を叙述した個所というだけではなく,すぐれて現代的問題としても読むことができます。いや,そう読まないといけないでしょう。
労働時間の短縮,一日の労働時間を制限する標準労働日の制定,さらには女性・年少労働の規制(女性・年少の保護)が,それを求める動きと止めようとする動きとの関係で実現する過程として生き生きと,かつ止めようとする動きの告発をともなって,描かれています。

労働時間と自由時間
Aさん 労働日の章が現代的意味をもっていることはよくわかります。いまおっしゃられたように,労働時間が自動的に短くなってきたのではなく,労資のたたかいの結果ということですね。
赤間 そうです。いまひとつ触れますと,労働日の章では,当時のイギリスの議会資料である『工場監督官報告者』がふんだんに使われています。マルクスは,「こんにちの支配階級は,より高尚な動機は別として,まさに彼ら自身の利害関係によって,労働者階級の発達をさまたげるいっさいの,法律によって処理できる諸障害を取りのぞくことを命じられている」(同上,11頁)から,「詳しい叙述のページをさいた」(同)と明言しています。イギリスの工場監督官,公衆衛生にかんする医事報告書,婦人・児童労働や住宅状態・栄養状態などにかんする報告書など多くの公的文書を使いながら,事実によって搾取のしくみや労働時間をつねに延長しようとする動機を解明しています。
逆にいえば,こうしたいわば公務員が社会進歩にはたす役割を論じた個所としても読むことができます。
いまなら官庁や企業の情報を公開し,市民的生活を向上させる運動とも共通するものがありますね。
B君 僕のまわりではアルバイトに追われ,学生といえでも忙しい毎日をおくっているのが現状です。先輩の話を聞くと,一旦社会人になると本を読む時間も,デートする時間もないなどと脅かされます。労働時間が短くなればそれだけ給料が減るのではないか,あるいは自由な時間は寝てるだけだから働いていたほうがいいという人も多いですよ。
赤間 『資本論』ではないけど,こんなことを書いています。ひとつは,労働の意味にかかわることです。「労働は,労働者自身の生命活動であり,彼自身の生命の発現である。そしてこの生命活動を,彼は,必要な生活資料を手に入れるために,他の人間に売るのである。だから彼の生命活動は,彼にとっては,生きていくための一手段にすぎないのである。彼は生きるために働くのである。彼は労働を自分の生活の一部とさえもしない。労働はむしろ彼の生活を犠牲にすることである。(中略)彼にとっての生活はこの活動がやむところで,食卓で,居酒屋の腰掛で,寝床で,はじまるのである。」(『賃労働と資本』全集版第6巻,396頁)また,自由時間についてはこういってます。「時間は人間の発達の場である。思うままに使える自由時間をもたない人間,睡眠や食事などをとる純然たる中断時間は別として,その全生涯が資本家のための労働に吸い取られている人間は,けだものにも劣る」(『賃金・価格・利潤』全集版第16巻,145頁)と。マルクスにとって,労働と自由時間とは人間発達にとって欠かせないふたつの場です。
マルクスは資本主義を批判したから,『資本論』でも労働者の悲惨な状態を描いているだろう,と考えがちですが,けっしてそんなことはありません。たしかに,「はたらけど はたらけど 猶(なお)わが生活(くらし) 楽にならざり じっと手を見る」(石川啄木;現代用字で表記)状態を描いているのは事実です(マルクスの言葉でいえば疎外と貧困が深まるということですね)。それだけでなく,そうした関係のなかに,労働者が人間としての発達する契機はなにか,条件はなにかを論証しているのです。

音読のすすめ
Aさん すこしは『資本論』に挑戦してみようという気になりました。でも机に向かって読み始めたらすぐ眠くなってしまうような気がします。
赤間 その点は大丈夫です。新書版にしても上製版にしてもそのまま枕の代用品になります。ちょっと硬いのが難点ですね。
勉強するとなるとどうしても一人で机に向かわないといけないと考えてしまいます。あるいは,ゼミのレポートのように,誰かがまとめてきて報告するのがふつうです。これもオーソドックな輪読の仕方ですね。この場合なら,『資本論』を読んだことのある先輩をチューターとお願いしたらいい。大学には自主的な勉強会や学習会に熱心な教師は少なくともひとりはいますから,教師にお願いする手もあります。僕らの世代なら専門はいろいろでも一度は『資本論』に挑戦しています。若い学生といま一度『資本論』を読んでみようという奇特な教師もいるかもしれない。
そのうえで,僕は,ぜったい,音読をすすめます。
Aさん 音読って,声を出して読むのですか?
赤間 そうですよ。できたら一人じゃなくて何人かでやったほうがいいです。第8章を読むと決めたら,見出しなどをのぞいて,本文の一繋がり,つまり一パラグラフに鉛筆で(1)と番号をつけて声を出して読んでいきます。読みながらわからないと思った個所に?をつけたり,この文章いいなと思ったら線を引くなりしておきます。つぎのパラグラフはつぎの人が(2)と番号をつけ,音読していきます。適当な区切りのいいところまでこの音読を続けていきます。第8章なら第1節で8ページほどですから,30分もあれば確実に読むことができます。
ここで肝心なのは,パラグラフごとに番号をつけることと注も同じ扱いをして読み進めることです。番号をつけるのは議論するときに「1パラの8行目でこんなこと言っているけどどういう意味?」と場所をすぐ特定するためです。注も読むのは『資本論』には思いもつかぬ警句やエピソードなどが豊富に散りばめられているからです。
集まって音読する前に,一通り目を通しておき,調べられる事項を調べておくなどの準備をしておけば充実した勉強会になるはずです。手前味噌だけど,僕はこのやり方を大学院の合宿で恩師に教わりました。まさか大学院で音読するとは思いもつきませんでしたし,最初は馬鹿にされている気がしました。しかし,『資本論』の読み方として,これは絶対効果があります。自信をもってすすめます。この場合も先輩や教師がいるとベストです。ちなみに,「古代の文献には明確に黙読による読書を証拠だてるものはほとんどない」(柳沼重剛『西洋古典こぼればなし』岩波同時代ライブラリー,1995年,73頁,asin:4002602389)そうですよ。
B君 それなら気軽に読めそうだな。Aさん,今度サークルでやってみようよ。
Aさん 私も読めそうな気がします。

辞典,年表そして参考書
赤間 僕の話もすこしは役にたったみたいでうれしいです。いつでもチューター役として行きますよ。あと,いつでも調べられる辞典類,年表なども揃えておくて便利ですね。
B君 参考書というか副読本みたいなものを紹介してください。
赤間 労働日を中心に『資本論』を理解しようという試みはいくつかありました。すこし古くなりますが,内田義彦『資本論の世界』(岩波新書,1966年,asin:4004110696)や『講座 現代経済学 全6巻』(青木書店,1978〜1982年,第1巻asin:B000J8QYIA,第2巻asin:B000J8MU9W,第3巻asin:B000J8K9OA,第4巻asin:B000J8GIZE,第5巻は品切れ,第6巻asin:4250820041)がいいと思う。内田さんのは今でも手に入ります。あとの講座は図書館や古本屋さんで探してみてください。
マルクスに先行する経済学者や考え方を知る必要も出てくるでしょうから,その時には経済学史学会編『経済思想史辞典』(丸善,2000年6月,asin:4621047663)が役に立つ。また,『資本論』を読み進めながら用語や概念を確かめるためには,マルクス・カテゴリー事典編集委員会編『マルクス・カテゴリー事典』(青木書店,1998年3月,asin:4250970558)も参考になるでしょう。
資本論』の内容を図示して解説した,大谷禎之介『図解 社会経済学』(桜井書店,2001年3月,asin:4921190089)は,『資本論』の理解に大きな力になると思う。
さらに,玉川寛治『『資本論』と産業革命の時代――マルクスの見たイギリス資本主義――』(新日本出版社,1999年11月,asin:4406026886)は,クーゲルマン宛の手紙にあった「『労働日』,『協業,分業,機械』に関する個所」への最良の副読本だ。文学作品に興味があるのなら,川上重人『シェイクスピアは『資本論』のなかでどう描かれたか』(本の泉社,2001年3月,asin:4880233528)もおもしろい。『経済』(1997年10月号)では「現代にいきる『資本論』」を特集しているので多いに参考になるでしょうし,本格的に挑戦するなら,ようやく完結した『『資本論』体系』(有斐閣,全10巻11冊,1984-2001年【asin:4641053413asin:4641053421asin:464105343Xasin:4641053448asin:4641053456asin:4641053464asin:4641053472asin:4641053480asin:4641053499asin:4641053502asin:4641053553】)も座右においておきたい。

資本論』とインターネット
Aさん W先生から,赤間先生はインターネットにも関心をもっているとお聞きしました。インターネットではどんなものがありますか?
赤間 AKAMAC というホームページですね。マルクスだけではなく,広く経済思想史,社会思想史のテキストにリンクしています。マルクスのものでは代表的な著作については英語,ドイツ語,フランス語などで読むことができますよ。もちろん『資本論』全3巻は,数カ国語のものがインターネット上にあり,自由にダウンロードして読むことができます。AKAMAC オリジナルのドイツ語版(第1巻)は世界で最初に作りあげたものでしたが,いまではいろんなところにありますのでオリジナルではなくなってしまいました。まあ,プライオリティを主張するより,多くの人に読んでもらったほうが意味がありますものね。
ただ,インターネット上にあるものはもともと厳密なテキスト・クリティークを目的としていないので,日本語をのぞく諸外国語のテキストがあると理解しておけばまちがいないでしょう。日本語のテキストがないのは,どこかの出版社の翻訳書をそのままアップするわけにはいかないという著作権の問題があるからです。日本語のマルクス・テキストがインターネット上にあれば,マルクス読者は急激に増えるはず。この問題をなんとかしなければということではじめたプロジェクトもあります。多くのマルクス・テキストをデジタル化しており,公表を待っているところです。
いずれにしろ,インターネット関係については,まとめて AKAMAC を見てください。(http://www.cpm.ll.ehime-u.ac.jp/AkamacHomePage/AkamacJ.html
Aさん,B君 今日はいろいろアドバイスしていただきありがとうございました。駄洒落がくだらなかったことをのぞけば参考になりました。
赤間 それじゃ,学習会のスケジュールが決まったら,また連絡してください。携帯ででも,メールででもどちらでもいいです。僕のほうもギャグのセンスを磨いておきます。