057佐藤優著『国家と神とマルクス――「自由主義的保守主義者」かく語りき――』

書誌情報:太陽企画出版,254頁,本体価格1,600円,2007年4月18日

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(日本という)国家と(キリスト教という)神とマルクスは著者には絶対的な存在だという。著者は,「国策捜査」によって512日間投獄され,その間哲学書,神学書,歴史書を中心に220冊を読了し,62冊の思索ノートを綴った。その成果が本書だ。著者はみずからを「人知を超えるところの価値を尊重」し(保守主義),自分に対して危害が加えられないかぎりは多元主義,寛容を認める(自由主義)ゆえに自由主義保守主義者とする。
マルクスについての発言――「だから,かえってソ連のような国家がなくなったから,我々は現実政治に束縛されずにマルクスのテキストを読むことができるようになりました。むしろマルクスの知的な遺産をきちんと我々は再継承することができる状況で,今こそ保守的な立場からマルクスをきちんと読むことが大事」(43ページ)――はまったく正しい。新メガ (MEGA: Marx-Engels-Gesamtausgabe) 発行の母体「国際マルクス・エンゲルス財団」 IMES は「純粋学問的な基礎上で,政治的には独立して」MEGAを編集すると宣言している。
ドイツ語 http://www.bbaw.de/bbaw/Forschung/Forschungsprojekte/mega/de/Blanko.2005-01-20.3457959854
英語版 http://www.bbaw.de/bbaw/Forschung/Forschungsprojekte/mega/en/Startseite
ところで,獄中で愛読した30冊のリストが掲載されている(25ページ)。宇野弘蔵柄谷行人ゲルナー,新共同訳聖書,太平記廣松渉ハーバーマスヘーゲルモルトマンらである。「理路」,「共同主観性」を早速本書で使っているから廣松を勉強した成果が出ている。宇野の純粋資本主義論から『資本論』の論理とキリスト教との両立を学んだというから(103ページ),これも読書の成果だ。「視座」も頻出している。これは3日前に書いたので触れない(https://akamac.hatenablog.com/entry/20070607/1181215776)。高校時代の恩師の言葉を紹介して,「読書については背伸びをして,どんどん難しい本を読みなさい。ただし,読んだことのない本を見栄で『読んだ』といっては絶対いけません」(111ページ),また「読まないで書評をすることだけは絶対に避ける」(同上)は評者も教訓としたい。
山田盛太郎『日本資本主義分析』についての評はどうだろう。「(前略)内容がまったくわからない,なぜあのようなめちゃくちゃな発想がでてくるのか,隷農制的=半隷農制的,封建的=半封建的,半農奴的など,わけのわからない等号や,半分だけの概念規定や,どこにかかっているかわからない形容詞や否定か肯定かわからない構文など(笑),このような奇怪な言説がなぜ一部のサークルで影響力を持ったのかについては,研究する価値がある」(179ページ)・「山田盛太郎さんの論理というか超論理を理解することは,信仰なくして不可能です。もちろん信仰の対象は日本共産党という組織」(同上)とは暴論である。評者の経験からすると(宇野と廣松については熱心な読者ではない,山田についてはほとんど読んだ),宇野は読みやすいが言っている内容がわからない,山田は読みにくいがわかりやすい,廣松はどっちもわかりにくい。山田の場合の「造語」「暗喩」は当時の検閲体制と無関係ではないし,「講座」と「三二テーゼ」とは相対的に独立していた。『分析』をいま一度冷静に分析してほしい。市民社会社会主義社会に変えるとした平田清明への言及も気にはなる(170ページ)。
著者の主張である愚行権を認め,自分の価値観を他人に押しつけないが,著者の信条である「国体」の維持と両立するのなら,幸いというしかない。