539高橋哲雄著『先生とはなにか――京都大学師弟物語――』

書誌情報:ミネルヴァ書房,iv+251+vii頁,本体価格2,200円,2010年6月30日発行

先生とはなにか―京都大学師弟物語

先生とはなにか―京都大学師弟物語

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著者の師・大野英二(1922.10.20-2005.9.6)との交流を中心にした師弟関係史を通じて「先生」を考えようという本だ。主役は大野だが,京都大学経済学部・大学院という知的空間人間模様も同時に描かれている。戦後直後の経済学部教授の「総退陣」事件を前史に配し,師・大野をとりまく「政治的」環境を横糸に張った京都大学経済学部論も見逃せない。「党員経済学者」・「民青系」・「非政治的マルクス経済学」などの形容は著者にとっては不可欠の分析ツールである。
著者の大野との師弟関係史は,四方田犬彦著『先生とわたし』と同様,知的交流のみならず破門と和解の連続だった。噂に聞いた破門や講座派理論の心酔など大野の人間的特性と学問的志向は,著者に「神聖な恐怖の時間」と自立への道を誘いつつ,最後まで先生であり続ける。「大野は人間としてはともかく,教師としてはけっして上出来の部類には入らなかったのではないだろうか」(232ページ)にもかかわらずだ。
著者にとって大野はときに触媒として,ときにメンターとして先生だった。個人的すぎる師弟関係史は大時代的な限界をこえて教師の役割に焦点を当ててくれた。
前著『本,註多きがゆえに尊からず』(下記関連エントリー参照)を書いた理由をはじめて了解した。
首を傾げた個所があった。60年代末以降の時期,大学院の入試で京大を落ち,東大に合格する例が多くあったいう。「これは当時珍しいことではなく,京大の入試は民青系の教官が地方の国立大学の民青の運動家の学生を夏休みに特訓しては入学させるといった状態がつづいていたため,それ以外の京大出身者が入りにくくなっていた。のちに学者として業績を挙げた秀才たちがこの時期には多く京大を落ちて東大に進むというコースをたどる」(206ページ)。「活動家」経験者が大学院を梯子して受験する例は多かったようだが,京大の教員が他大学出身者に受験特訓をするということは聞いたことがないからだ。著者の「党」「民青」への過敏すぎる反応のような気がする。