「明治史研究のための情報ブログ」(→http://1868.seesaa.net/article/175306537.html)を経由して,徳島藩最後の藩主・14代蜂須賀茂韶(もちあき)(1846〜1918)と妻の斐(あや)(1852〜没年不明)の留学先・ロンドンで一緒に撮った写真が見つかったことを知った(徳島新聞「最後の徳島藩主・蜂須賀茂韶 夫妻の写真新たに確認」2010年12月23日付→http://www.topics.or.jp/localNews/news/2010/12/2010_129308386525.html)。
茂韶についてはかつて北海道・蜂須賀農場エントリーで触れたことがあった(下記関連エントリー参照)。記事では当時ロンドンでは名刺判肖像写真の交換が流行していること,日本人としては珍しい夫婦揃っての写真であることを指摘している。撮影時期は茂韶の第1回目の留学(1872〜73年)の時期と推定している。記事中の写真では写真家(写真屋)らしい ELLIOTT & FRY をなんとか判読することができる(右下は住所だろうか)。
評者の関心を引いたのはこの ELLIOTT & FRY である。ほぼ同時代の写真集を見たことがあるからだ。大村泉・窪俊一・V.フォミチョフ・R.ヘッカー編集『ポートレートで読むマルクス――写真帖と告白帖にみるカール・マルクスとその家族――』がそれで,書評する機会がありマルクスの娘ラウラの写真集をつぶさにみることができた(下記関連エントリー参照)。この写真集は色彩豊かな螺鈿(らでん)と琥珀(こはく)のモザイクの表紙で,「ラウラ1868年」の名前が刻まれていた。1860年代半ばから1883年までの41枚の写真が収められている。1860年代半ばには,それまでの高価で時間のかかる銅版写真から印画紙に焼き付ける写真に取って代わられており,写真館も飛躍的に増大していた。
「1851年になって初めてアーチャーとフライによる写真の安価な焼き増しのためのコロジオン法が特許申請され,この方法は1882年まで支配的な方法となった。これ以前の焼き付け法は,1839年来の銀板写真法(ダゲレオタイプ)であり,ヨウ化銀を塗った鶏卵膜を用いるリープス・ドゥ・サン=ヴィクトールが1847年に発展させた方法であった。1854年以降,「名刺判」という書式が肖像写真で用いられるようになり,大量に普及した。例えば1846年にベルリンにはわずか18人の写真家しかいなかったが,1860年には94人になった。技術的可能性と写真家の数とともに1枚あたりの価格もますます安くなった」(上掲書資料編66〜67ページ)。
ラウラの写真集では,以下のような写真家(写真屋)の名前を確認できる。George P. Wright(ロンドン),Friedrich Wunder(ハノーファー),Herbert Watkins(ロンドン),(Robert) Thomas Hedges(ロンドン),Thiebault(パリ),Silas Eastham(マンチェスター),Eduard Schltze(ハイデルベルク),S. Sernin(ボルドー),Haghway(サセックス),Otmar v. Türk(ウィーン),Charles Richard(ジュネーブ),German Fehrenbach(ロンドン),Samuel Bayliss Barnard(ケープタウン),B. Bruining(ライデン),Joseph Kirkman(ケープタウン),James Edward Bruton(ケープタウン),I. Wothly(アーヘン),George William Secretan(ロンドン),Georges(ヴェルサイユ),Emile Gimet(ボルドー),Francis Mathieu(ロンドン),Appleton(ブラッドフォード),John Rogers(ロンドン),Edmund Bremen(トリーア),Phillipp Graff(ベルリン),J. Lowy(ウィーン)など。
ラウラの写真集の名刺判写真の裏面には写真家(写真屋)の住所や Copies may be had.(複製可)などの情報が印刷されている。茂韶・斐夫婦を撮った ELLIOTT & FRY はラウラの写真集には見いだすことはできなかった。ロンドンの写真家もかなり多かったろうから,釣りエントリータイトルの期待を裏切って,茂韶とマルクス(家)との写真を通じての接点はなかったことになる。ラウラの写真集だけでも10近いロンドンの写真家の名前がある。ベルリンで100人ほどいたことから推測するとそれ以上の写真家がいた可能性がある。
ともあれ茂韶は J. S. ミル(1873年死亡)やマルクス(1883年死亡)とロンドンの街角ですれ違ったことがあるかもしれない。
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