719黒田智著『なぜ対馬は円く描かれたのか――国境と聖域(アジール)の日本史――』

書誌情報:朝日選書(860),248頁,本体価格1,200円,2009年10月25日発行

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15世紀に朝鮮で描かれた対馬は九州全島にも匹敵するほどの大きさでクロワッサンのように円い。日朝間を往還する朝鮮の人々にとって必要な海域図としての性格から海岸線の伸張と圧縮の結果円い対馬になったのではないかというのが著者の見立てだ。
日朝両国の古地図での対馬は,丸型,饅頭型,クロワッサン型,草履型,火焔型,現状型に分類できるとのことだ。そこに著者は両国の「「われわれ」意識をもちあう重複した空間」(59ページ)・「ふたつの国家の領域が重複する地であり,フロンティアの典型」(87ページ)のあらわれを見る。
対馬の「卒土浜」(=「外浜」)に込めた日本の西の境界は,「日朝のいずれにも属し,あるいはどちらにも属さない両義的だったこの地域」は日本というネイション・国家に取り込まれることによって,「マージナルな世界を失わせ,否応なくアジールとしての性格を一変させ」(90ページ)られた。
あいまいな目に見えないフロンティアから中世日本の辺境となり日朝を相互に往還する国境をまたぐ地域でもあった対馬は,徳川日本の辺境から大日本帝国の中心となりまた日本の国境へと変転する。歴史の展開とともに忘却と発見を繰り返す対馬アジール――聖域・平和領域をあらわすドイツ語――。
聖(アジール)と俗(ネイション)の対比から対馬という辺境をあたかも一枚の鏡にした日本の歴史は,あのマージナル・レボリューション(限界革命)に引っかけていえば,マージナル・ヒストリーとでも呼べるかもしれない。