718西川長夫著『パリ五月革命 私論――転換点としての68年――』

書誌情報:平凡社新書(595),477頁,本体価格960円,2011年7月15日発行

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これまで読んだ68年論の多くは何も成果がなかった論か自分さがし論の印象が強い。新左翼ポストモダンの類似性を指摘した大嶽秀夫著『新左翼の遺産――ニューレフトからポストモダンへ――』(関連エントリー参照)は前期新左翼の礼賛が強いとはいえ例外的労作だ。ソルボンヌの大講堂の大扉に書かれていたという数字「1789,1830,1848,1871,1930,1968」(「はじめに」12ページ)のように,あの時代に生きた若者の生きた証論では済まされないなにかがあった。
著者は1967年10月の末から1969年9月の末までフランス政府給費留学生としてパリに住んでいた。「現場にあった者の証言」と「事件の客観的な記述」による「世代を超えた伝言」(同上14ページ)は貴重だ。1968年5月に焦点を当て,記録・証言・写真による叙述は「自分史的記述」をはるかに超えている。
「68年が西欧的自由主義国家における戦後体制に対する反抗的・反体制的な運動」(418ページ)であり,プラハの春社会主義圏におけるそれ,さらに89年を「資本主義から共産主義への長い移行期における,社会主義的幻想の終わり」(419ページ)との見方,ウォーラーステイン世界システムにおける革命の命題への理解はおおむね当たっている。
当時大きな影響力を持ったとされるマルクーゼ――「何らかの影響をもちえたというのは作られた神話」(149ページ)――,森有正――幾万の学生たちがデモの度に叫んでいた切実な言葉は「この日本の知性を代表する西欧派知識人の耳には全くとどいていなかった」(276ページ)――,加藤周一――日本回帰――,ロラン・バルト――五月革命とバルトとの違和――,アンリ・ルフェーヴル――「合法的造反教師としてのいくらか滑稽で空しい役割を果たしたにすぎなかった」(330ページ)――,ルイ・アルチュセール――「レーニンの名をかりた,言わばアカデミックな哲学会への殴り込み」(364ページ)――などへの言及は68年革命の衝撃の大きさをものがたっている。
「既成の秩序のなかで既成の概念を使って冷静に組み立てられた未来社会像と,六八年五月のような祝祭的革命のなかに現出した未来社会像のどちらかを信じるかと問われれば,私は躊躇なく後者を選びたいと思う」(453ページ)。68年の空気を少しでも吸ったことがあればあれが「祝祭」だったことはわかる。つわものどもが夢の跡ではなかったのだ。