398小熊英二著『1968【上】――若者たちの叛乱とその背景――』

書誌情報:新曜社,1091頁,本体価格6,800円,2009年7月7日発行

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

1968〈上〉若者たちの叛乱とその背景

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上巻は,下巻を含めた本書の時代的・世代的背景とセクトの概略を総論的に配し,慶応義塾大学,早稲田大学横浜国立大学中央大学,羽田・佐世保三里塚・王子,日本大学東京大学における「若者たちの叛乱」を描く。
著者は,この「若者たちの叛乱」を,アイデンティティ・クライシス(「現代的不幸」)に見舞われた最初の世代によって担われ,言語化する術を知らないがゆえにときには直接行動に訴えるしかなかったと特徴づける。本書を読み進めていくと,東京大学闘争の際に語られた福田歓一の言葉にどうやらヒントがある。「まず,それは若い世代が,必ずしも,自己の内面的な要求をことばに置換えるじゅうぶんな能力を持っていないことを象徴するものでした。(大幅に中略)こうして,まさにコトバが見失われたからこそ,実力行使が自己目的化したように思われるのです。」(福田歓一「東大紛争と大学問題」『世界』1969年4月号,本書836ページから孫引き)アイデンティティ・クライシス論と言語不在論を結びつけた1968年論が著者の独創ということになる。
大量の資料を読み解いた各闘争の詳細な叙述は圧巻だ。全共闘運動との関連と個別闘争の意義づけが明快である。慶応義塾大学闘争は,セクトの思惑をこえた一般学生の参加,闘争委員会方式バリケードと自主カリキュラム,コミューン空間などその後の全共闘運動に引き継がれる闘争の原型をなし,卒業を控えた4年生の戦線からの離脱によって終焉することも共通だ。早稲田大学闘争は,全共闘の名称が最初に出現するが,内部分裂をおこし,一般学生からの遊離や「寝トライキ」学生の発生をまねく。
横浜国立大学では自主講座が本格的におこなわれ,中央大学では戦術的な獲得目標を学費値上げ反対に絞ったことで学生側に勝利をもたらしたことが抽出され,全共闘運動が東京大学闘争と同じではない可能性を持っていたことを示唆している。
羽田闘争などはゲバ棒がはじめて機動隊にたいして本格的に使われたこと,直接行動に向かう若者たちの心理,政治的に覚醒した一般人の意味で「市民」という言葉が定着したことが語られる。
上巻のおおよそ半分は日本大学東京大学の各闘争にあてられている。両闘争は全共闘運動ではならび称されるが,日本大学闘争は要求目的が明確な大学民主化闘争の,東京大学闘争は大学のあり方を問い全共闘運動,の規範となった。日大の場合,人権抑圧と闘う民主化闘争(「近代的不幸」との対峙)と主体性獲得(「現代的不幸」からの脱却)の両面を切り取る。東大の場合,全共闘が一切の政治的妥協を首肯しない特徴をもっていたことを論じつつ,闘争前期と後期での明確な違い(「大学解体」「自己否定」「造反有理」などは一般学生からの支持を失った時機の論調と戦術だった)を確定している。
ようやく上巻を読了したばかりだ。下巻読了後に続きを書こう。
(些末なこと。日大闘争などの記述で教員を「教官」とするのにはなじめない。「福島大の医学部教授会」・「福島大病院長」(675・676ページ)は間違い。福島県医大の誤記だろう。)