502小熊英二著『1968【下】――叛乱の終焉とその遺産――』

書誌情報:新曜社,1011頁,本体価格6,800円,2009年7月31日発行

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

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下巻は,高校闘争,新宿事件・各地全共闘・街頭闘争,ベ平連連合赤軍,リブ運動を描く(上巻については下記関連エントリー参照)。1970年のパラダイム転換という本書の主張を中間部に配し,1968年前後に生じた叛乱の性格と意義をまとめている。
高校闘争では,セクトに属していた高校生活動家の存在,高校生活への不満,ベトナム戦争や受験体制批判が合流した現象だとする。卒業式の送辞・答辞では高校生の思想表現の場となったことやバリケード封鎖など「西の市岡,東の九段」と言われたセクトがらみの拠点校から底辺校といわれた高校にいたるまでの叛乱の激化があった。しかし,「受験体制粉砕」や「受験教育反対」を叫んだ高校生の多くは大学に進学し,69年には高校闘争は鎮静化する。「現在服装の自由化などが実現している高校は,この時期の闘争の成果である場合が少なくない」(71ページ)とのことだが,評者が在学し卒業したド田舎の高校は都市部の高校の叛乱を受けて教師のほうから制服廃止を提案するという「上からの革命」を実現してしまったのだった。80年代以降は,政治的な言葉を伴わない校内暴力として,さらにはいじめ,不登校自傷行為などのような「現代不幸」への自閉的対応として位置づけられる。
60年代末の若者たちの叛乱は上巻で描かれた東京大学日本大学闘争といまひとつ新宿事件にそのピークを迎える。前者が全共闘運動の嚆矢となり「大学闘争の規範型」(109ページ)になるのにたいし,後者は内ゲバの慢性化とともに学生運動に「否定的感情」(98ページ)をもたらし「低落期」(99ページ)に入る表徴となる。そのうえで本書のライトモチーフが繰り返される。「この時期の大学生の多くは,戦後教育の理念を教えられながら高度成長下の現実を生きている自分自身に「言行不一致」と罪悪感を抱き,そうした自己を否定したいと感じ,漠然としたアイデンティティ・クライシスをはじめとした「現代的不幸」を表現し,不満をぶつける場をもとめていた。そうした学生は,日大のような旧時代的な弾圧下で「近代的不幸」に直面していた学生よりずっと多かった。それが,東大の院生などとはまったく異なる立場にまで,東大闘争に共鳴が広まった理由だったと思われる」(106ページ)。大学闘争は70年には完全に沈静化し,ゲバ棒とヘルメットによる街頭闘争が限界に達した閉塞状況から出てきたのは武装闘争だった。69年の全国全共闘の結成をもって「ノンセクト・ラディカルに象徴される「60年代の可能性」は終わり,セクトの党派政治と,「観念的な武闘主義」と「内ゲバ」の時代になった」(143ページ)。(ちなみに一般学生によるスト解除決議の例で触れられている,「福島大学では全共闘が理科棟を封鎖し,10月20日から全学無期限ストに入ったが,11月10日の工学部学生大会の模様は以下のようだった」(136ページ)のうち,「工学部」は間違い。福島大学には過去にも現在にも工学部はない。当時の学部構成と文脈からすると「教育学部」だろう。)
本書,なかんずく下巻中の展開で大きな意味を持つのが1970年代(正確には70年7月から10月にかけて)の「パラダイム転換」である。ここでいう「パラダイム転換」とは「「戦後民主主義」や「近代」への批判はそれ以前から広まりはじめていたが,安保の自動延長後,マイノリティ差別や戦争責任問題の台頭のなかで,「戦後民主主義」「近代」批判が強化された。そして「安保」にかわって,マイノリティ差別,戦争責任問題,天皇制,リブ,障害者問題,環境問題など,それまで注目されていなかったテーマが急浮上することになった」(262ページ)を意味する。安保闘争によって目標を失った若者たちのいわば「アイデンティティ・ゲーム」(266ページ)であり,「それまで「戦後民主主義」が見落としてきたマイノリティや戦争責任の問題を提起したというプラスの側面もあったが,日本のマジョリティに訴える言葉を失ったというマイナスの側面をおびたもの」(276ページ)となる。この言葉を失う裏面では武装闘争論や内ゲバの激化があり,72年2月の連合赤軍事件で若者たちの叛乱は一気に瓦解していく。
さて,下巻で多くの紙数を費やして論じられるのがベ平連(約200ページ)と連合赤軍(約170ページ)である。ベ平連はもともと市民運動としてはじまり,若者たちの叛乱に出会い独自の位置を占めることになる。穏健だった初期ベ平連からハノイ空爆を契機にして脱走兵の国外脱出援助のような「非暴力とはいえ,非合法は辞さない」(325ページ)転換点,および動員力のピークと運動体の危機(69年)を経て,「戦争体験者の記憶から始まったこの運動は,若者たちの叛乱の季節にぶつかって,ある意味で予想外の展開をとげた」(499ページ)軌跡が描かれる。ベ平連は,著者のテーマでいう「現代的不幸」の脱出と自分の身を危険にさらすことで高度成長に浸りきっている罪悪感をやわらげる意味をもったという。「「どこへも入るところのない人」の言葉にならない願望を集めるという,類例のない存在」(499ページ)ではあったが,学生叛乱を吸収する受け皿となることによって膨張し,そのことによって同時に危機を迎えるという逆説を指摘している。それでも著者のベ平連およびその運動にたいする評価は上下巻を通じてもっとも高い肯定的評価を下している。「社会運動の先駆例」(306ページ)・「現在でも学びとるべき多くの教訓と智恵がふくまれていた」(499ページ)・「(政治運動としてみるならば:評者注)ベ平連をのぞいて,学ぶべき遺産はほとんどない」(「結論」865ページ)との表現にそれをみることができる。
連合赤軍事件については山岳ベースでのリンチ死からあさま山荘での銃撃戦まで,経緯と性格の検証と武装闘争路線小グループの動静が詳らかにされる。「大言壮語のわりには実行はいいかげんな関西ブント気質をうけつぐ赤軍派と,生真面目な革命左派の気質の相違が,悲劇を生んだ」(595ページ)とまずはまとめ,事件の「偶然ではなく普遍的な現象」(672ページ)をみる。同時に著者は連合赤軍事件が「<理想>を目指す社会運動」が陥る隘路」(673ページ)とは見ていない。事件の衝撃の大きさに「感傷的に過大な意味づけを」すべきではないと釘をさす。一般に言う学生運動と悲劇的な結末をむかえた連合赤軍とを等値するなという意味はよく理解できる(597ページ冒頭の「永田の回想よると」は「に」が脱落か)。
パラダイム転換」と同時期に社会的に認知されたのが日本のリブ運動である。象徴的な文章が引用されている。山本義隆らとともに東大ベトナム反戦会議のメンバーだった理学部院生の所美都子のものだ(所は29歳で病死し,のちに,遺稿集『わが愛と叛逆』神無書房,1969年が編まれる。)。

「研究費が手に入った。さあ女の子雇って,ばりばり研究をしてやるぞ」研究主任ははりきっている。
そこまでは私達も文句をいうまい。そう,その”女の子”が低賃金労働者の別名であることにも。
「しかし,先生,研究費を使い終わったとき,その女の子はどうするんです?」
「どこか,よそのところを探してやるさ。どうしてもなかったら,お嫁にいってもらえばいいや」
先生はご存じない。その女の子がその研究にもつ情熱も,お嫁に行って彼女の青春に終止符をうつことに対する不安も。(689ページから孫引き)

参政権,生理休暇取得,男女の賃銀格差是正など男女平等や男女同権という戦後的価値観と同時に進行するこうした見せかけ民主主義,あるいは男の論理にたいする批判は,全共闘運動と共通との土壌から生まれた。男並になることと女らしさにおさまることの両方を否定したのが当時のリブの主張だ。リブ運動担い手の手記を繙くなかで著者が透視するのは徐々に進行する大衆消費社会の到来である。公よりも私(井上陽水の世界:評者の言葉)を重視し,消費社会の肯定に変わるというプロセスを確認して本論を閉じる。
パラダイム転換」は90年代はじめの経済停滞と94年の脱工業社会化によってその前提を失う。ならば「1968」とは何だったのか。高度成長の進展の障害となっていた戦後思想の倫理を排除し,大衆消費社会の移行を「二段階転向」(852ページ)によって促進し,全賃金労働者を大幅に増大させた意味では「勝利」という。あの時代の若者が言語化する能力をもたず,バリケード封鎖,街頭闘争,武装闘争に走り,資本主義の成熟を促進する役割を果たしただけとするなら,これだけの大著は必要ない。「戦後の思想や運動には,学ぶべき数多くの失敗や教訓や遺産があったにもかかわらず,それを学ぶこともなく過去のものにした」(865ページ)あの時代の若者たちは,それゆえに「現代的不幸」から脱しえなかったのだ。「いかなるパラダイムが必要なのか」(864ページ)でもない。「過去の思想や経験を十分に理解」(865ページ)することにしかない。