726戸矢理衣奈著『銀座と資生堂――日本を「モダーン」にした会社――』

書誌情報:勁草書房,267頁,本体価格1,300円,2012年1月25日発行

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資生堂の創業は1872(明治5)年である。福原有信が日本初の洋風調剤薬局として現在の銀座7丁目に店を構えたのが最初である。化粧品だけでなくパーラーやギャラリーでも有名になった。著者は,創業者の三男である福原信三(初代社長)に焦点を当て,企業イメージ形成とビジネス展開,さらには彼のビジネスマインドを追っている。資生堂についても福原信三についても本格的な研究は意外なほど少ないというから,資生堂の一次資料を使った本書は評者の雑学的関心に大きく応えるものとなっている。
銀座通りの街灯は女性がもっとも美しく見える照度に調整されている,銀座初のコーヒー専門店はカフェーパウリスクである(1911年),午後の紅茶の日本での伝道者は新渡戸稲造である,資生堂ギャラリーでは茶器をまったく取り上げていない,「耳かくし」は資生堂が提案した髪型である,など文化史的事実がてんこもりである。富本憲吉らとの交流からウィリアム・モリスやアーツ・アンド・クラフト運動に刺激を受けて「商品の芸術化」を謳ったこと――「ものごとはすべてリッチでなければならない」・「商品をしてすべてを語らしめよ」・「本当に優れたるものは恒に生命がある」――,チェインストア制を日本で最初期に導入した企業であること,「実質的な反戦活動を続けた」こと,正木ひろし柳瀬正夢にギャラリーを提供したことなども明らかにしている。
資生堂の一薬局から全国販売網を持つメーカーへと展開する過程と信三の写真界での活躍と個性の追求を絡ませた叙述は資生堂=信三に収斂させている。資生堂デザインの三要素(花椿資生堂書体,唐草)も信三が追求した「時空を超えた文化の融合と洗練」(235ページ)にある。
信三の美学と企業文化との融合という草創期・資生堂の「日本女性を個性的にしたい」という思いの対象である「日本女性」はどこにいったのだろうか。「日本女性」は資生堂商品の消費者一般としてしか登場しないし,資生堂・信三の女性性の限界(第二次世界大戦前という時期を考慮したとしても)を女性著者が問題にしてもいい。