614「あめにーぎょうーせん,か(わ)たあめにーぎょうーせん」の謎解ける

松山に住むようになって気になっていたことがあった。「あめにーぎょうーせん,か(わ)たあめにーぎょうーせん」とリヤカーで行商しているおばあさんがいた。「あめ」は分かったが「ぎょうせん」がなにか分からず28年間そのままにしていたのだった。
今日職場に回ってきた「まつやま地域産品等PRフリーペーパー「Oic:matsuyama(おいしいまつやま)」」(→https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kurashi/sangyo/sousyutu/kako/prfp/index.html)(松山市産業経済部地域経済課発行,第11号,2012年11月20日発行→https://www.city.matsuyama.ehime.jp/kurashi/sangyo/sousyutu/kako/prfp/vol11.files/vol11_6.7p.pdf)を見ていたら,「ぎょうせん」を扱っていたページがあった*1。「ぎょうせん」とは「ぎょうせん飴」のこと。日本人が砂糖を知る前から甘さを楽しんでいた「千年来の伝統食品」とある。麦芽ともち米と水だけで作る飴である。
行商の声の主は竹田雪枝さんで85歳までリヤカーを引いていたという。昨年90歳で亡くなり,現在は息子の良一さんが雪枝さんの声を CD で流しながら軽トラックで市内で行商している。
リヤカーを引く雪枝さんを何度か見かけたことがあった。あのリヤカーにはこんな歴史が詰まっていたのだった。雪枝さんの声は運がよければ市内のどこかで聞くことができる。
「ぎょうせん」は「凝煎」と書くらしい。砂糖と菓子の社会史の本を読んでいたにもかかわらず(関連エントリー参照),平安時代の「延喜式」に出ているという「ぎょうせん」を知らなかった無知を恥じるばかりだ。


*1:「わたあめ」説と「かたあめ」説があるが,こちらは「かたあめ」になっていた。