944シリル・パール著(山田侑平・青木玲訳)『北京のモリソン――激動の近代中国を駆け抜けたジャーナリスト――』

書誌情報:白水社,599頁,本体価格3,600円,2013年5月10日発行

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主人公はジョージ・アーネスト・モリソン George Ernest Morrison (1862.2.4-1919.5.30) である。彼は生涯の最後の日まで日記をつけていた。手紙,電報,切り抜き,絵葉書,写真,質札,ホテルの領収書などの資料も保存されていた。すべての資料を,「個人的に書いた極東史の興味深い同時代の記録であり,歴史家にとって価値がある」(546ページから孫引き)と27歳下の妻・ジェニーに遺言していた。 モリソンの死後すぐに伝記が編集されたが出版にいたらず,さらにジェニーの,日記と文書類を25年間公開しないで欲しいとの遺書もあった。資料類はシドニーのミッチェル図書館にあり,それをもとに著者によって書かれたのがこの伝記だ。原著は1967年に出版されており,この翻訳までにさらに46年かかったことになる。
オーストラリア・メルボルンで生まれたモリソンは,メルボルン大学医学部を中退し,冒険旅行中の瀕死の重傷を手術したエディンバラ大学で医学を修め医者として卒業した。民間会社や病院医師として糊口を凌ぎながら,北米,西インド諸島,モロッコ,パリ,日本などを旅行する。上海からヤンゴンまでの徒歩旅行を旅行記として出版し,これがタイムズ紙支配人の目に止まり,タイでのアジア特派員を経てタイムズ社初代常駐北京特派員になる。こうして19世紀末の戊戌の政変から第一次世界大戦終結にいたるまでの激動の中国を現場で目撃することになる。
日露戦争時の日本への肩入れ,対華二十一カ条要求の不当さの告発にみられるように,対日観は複雑に揺れ動く。袁世凱政府の政治顧問を引き受けながら飾りにされている不満を訴えながらも新生中国への期待を発信する。
日記などモリソンの資料を元にしているだけに臨場感が半端ではない。見てきたような再現性が本書の魅力である。「北京のモリソン」には「ベッドのモリソン」も日記には書かれていることが推測される。
モリソンが集めた書籍は東洋文庫(→http://www.toyo-bunko.or.jp)に収められている(売却の経緯も詳しく記録されている)。「趣味」だった書籍購入と消失を防ぐモリソンの情熱も半端ではない。
二段組みで550ページを超す大著にはモリソンのすべてが詰まっていた。