974荻村伊智朗著『スポーツが世界をつなぐ――いま卓球が元気――』

書誌情報:岩波ジュニア新書(226),vi+199頁,本体価格600円,1993年7月20日発行

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卓球がオリンピックの競技種目になったソウルオリンピックの時,国際卓球連盟の会長だった著者の言葉――「卓球というのは100メートル競争をしながらブリッジをするみたいなもの」――はよく引き合いに出されるようになった。イギリスのアン王女が二回も卓球会場に足を運んだときの解説である。アン王女はそれにたいして「わたくしの卓球のレベルは,50メートル競争をしながらポーカーをするみたいなもの」と応えたという(9ページ)。
20年ぶりに再読して一読目とはちがうページでいくつか教えられた。卓球と政治との関係である。ひとつは,1926年の国際卓球連盟創立以来,加盟は国単位ではなく,協会単位であることである。台湾,香港,イングランドスコットランドアイルランドウェールズマン島,ジャージー諸島,ガーンジー諸島のようにこれらは卓球協会が独立している。オリンピック競技に入るために国旗・国歌を導入したことになる。
ふたつめは移住問題である。中国出身選手は多くの国で代表となっている。だが,第二次世界大戦中には東ヨーロッパから多くの選手が各国に移住した。「歴史を長い目で見れば,選手の移動や移住は技術やノウハウの移転を早め,世界の卓球をさかんにします」(29ページ)。
国際卓球連盟は,南アフリカの非人種主義協会の加入を認め有色人種を含むチームをストックホルム大会(1967年)での参加やパレスチナ卓球協会の加入を認めサラエボ大会(1973年)での実現をはたしている。パレスチナを認めた最初の国際スポーツ組織になった。
米中接近や統一コリアチームの実現も卓球が取り持った。アウトドア卓球台の普及やラージボール卓球から,温泉卓球や最近ではフットボールと卓球を組み合わせた新スポーツ Teqball(ルール→http://www.youtube.com/watch?v=RD9d5VAUgYQ,実技→http://www.youtube.com/watch?v=c_I5-HmLCO4)にいたるまで多様な卓球が展開中である。
阿蘇山のような生涯スポーツの山」と「槍ヶ岳のような競技スポーツの山」(164ページ)の考え方は,ピラミッド型スポーツと一線を画すものだ。