1542公益財団法人日本卓球協会『ラージボール卓球30年のあゆみ』

書誌情報:公益財団法人日本卓球協会,201頁,非売品,2018年3月31日発行

1980年代半ばのこと,タモリがあるテレビ番組で「卓球はネクラ」発言して卓球界に大きな衝撃(?)を与えた。その後日本卓球協会は卓球のイメージ調査を実施するとともに協会内に「卓球発展計画プロジェクト」を発足させた。屋外でもできるウインドウピンポン(屋外に設置したコンクリート製の卓球台。ドイツや中国でよく見ることができる)とラージボール卓球がその成果だ。1988年9月の第1回全国マスターズ大会(富山県営総合体育センター)が最初の大会であり,1998年から全日本ラージボール卓球選手権大会,2005年から全国ラージボール卓球大会となって現在にいたっている。ソフトテニスと同様ラージボール卓球は日本発祥のスポーツとなる。ボールの大きさ,ネットの高さ,ラバー(表ソフト)のほかは卓球と同じルールであり,ボールが大きくて表ソフトラバーとネットが高いためラリーが続く特徴がある。見た目以上に運動量がある。
ラージボール卓球誕生にはタモリとそれを受けてラージボール卓球はじめユニホームや卓球台のカラーバリエーションの導入などを実現した荻村伊知朗(1987年に日本人としてスポーツ界初めての国際卓球連盟会長に就任)の存在が大きい。タモリはのちに発言を詫び,卓球強化に寄付をするというエピソードもあった。
エッセイや大会の歴史,ルールなどからなるラージボール卓球の歴史,写真,記録などからなっている。1979年世界チャンピオンになった小野誠治はラージボール卓球(年代別の男子シングルス)でもチャンピオンになったことがある。
日本卓球協会のホームページにはこの記念誌の情報がまったくない。