305「英雄の妻 敦子」

第29回民教協スペシャル「英雄の妻 敦子――激動の日中関係を生きた女の人生――」を観た(公益財団法人民間放送教育協会http://www.minkyo.or.jp/01/2015/01/29_1.html)。名テレ作成の「とむらい――「英雄」の妻が見た国家――」(2014年3月14日放送)がもとになっているようだ。
英雄とは中国の名選手にして文革末期にスポーツ大臣を務めるなどした荘則棟(1940.8.7-2013.2.10)である。文革前までの世界選手権を3連覇(61年北京大会,63年プラハ大会,65年リュブリャナ大会)し,もし文革がなければ記録を塗り替えたであろうといわれるほど強かった。6年を経て世界に復帰した名古屋大会では,団体で優勝しダブルスでは準優勝だった。ロン・ノル政権下のカンボジア選手とのシングルスの2回戦を棄権している(周恩来の指示と言われている)。この大会でアメリカ選手とたまたま握手をしたことが米中国交回復に結びつく「ピンポン外交」のきっかけになった。
文革期の監禁,文革終了後の「四人組」派とみなされての投獄を経て復帰したのは80年代になてからである。名古屋大会で出会い,北京で働いていた佐々木敦子さんと再会し,結婚したのは87年12月のことである(荘47歳,敦子さん43歳)。
敦子さんは日本人両親(父親は獣医)のもと中国・瀋陽に生まれ,中国で教育を受けた。戦後の混乱期と中国建国後の「大躍進」を経験して日本に帰国するのは22歳になっていた67年である。文革前後の政治状況に翻弄された荘と出会うも結婚するためには,北京に住み出国禁止のうえ中国国籍取得が条件だった。
番組では荘の告別式が厳戒態勢のもとでようやく執り行われたことを伝え,それまでの四半世紀のふたりの歩みを追ってはいない。
荘則棟の妻・敦子さんの人生から見た中国という国の現代史の輪郭が浮かび上がっていた。