1600松平みな著『穣の一粒』

書誌情報:愛媛新聞社,339頁,本体価格1,200円,2015年12月25日発行

本書の主人公・高須賀穣(幼名伊三郎)は,以前三輪田眞佐子著『三輪田眞佐子——教へ草/他——』(関連エントリー参照)で触れたように,オーストラリア・スワンヒルで米作のため灌漑施設をつくり,オーストラリア米の多くを占めるジャポニカ米の基礎を築いたことで知られ,「豪州米のパイオニア」や「豪州米の父」とも称されている。
その高須賀が松山から上京後慶応義塾に入学するまでのおおよそ2年間三輪田眞佐子のもとで東京の私塾・翠松学舎(現三輪田学園の前身)で教師をしていたことが判明している。ディビッド・シソンズの略年譜によれば,1984(明治17)年1月14日「父嘉平隠居,家督相続,戸主となる」のあと,1889(明治22)年10月慶応義塾別科入学,1992(明治25)年1月慶応義塾大学部理財科入学まで空白となっていた(「本県出稼の諸形態」,『愛媛県史 社会経済5 社会』,1988年3月,[asin:B01LTIBAP0]所収)。
本書は,穣が白豪主義下のオーストラリアで苦労の末米作に成功し,彼の地に米作を定着させるまでの苦難の道を描く小説だ。松山,東京,アメリカでの学びの時期も詳しく,逆遍路途中の伯呂(はくろ)とアメリカでのニコラス教授との出会いは運命的ですらあった。
高須賀が洪水を防ぐために築いた堤防である高須賀バンク(TAKASUKA BANK)には記念碑が建立され,また,タカスカ米はメルボルン博物館に,妻いち子など家族の記録はスワンヒルの記念館(The Pioneer Park)に,それぞれ保存・展示されている。スワンヒルには ‘Australia’s First Rice Farm’,’TAKASUKA RD’ (Road) の標識もある。また,ヤンコー農業試験場には初めてジャポニカ米が試験的に栽培された場所として高須賀の写真を掲げた記念碑がある。なお,テレビ愛媛「高須賀穣物語〜一粒のかけた夢〜」は第4回FNSドキュメンタリー大賞佳作を受賞した(1995年)。
ノリーン・ジョーンズ著北條正司・白籏佐紀枝・菅紀子訳『第二の故郷——豪州に渡った日本人先駆者たちの物語——』(関連エントリー参照)の西オーストラリアと本書の東オーストラリア,期せずして伊予人のオーストラリアでの活躍を知ることができる。