360原寮(正しくはうかんむりなし)著『私が殺した少女』

書誌情報:ハヤカワ文庫(JA546),439頁,本体価格680円,1996年4月15日発行(2008年8月31日第18刷)

私が殺した少女 (ハヤカワ文庫JA)

私が殺した少女 (ハヤカワ文庫JA)

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単行本は1989年10月(早川書房)だから,20年前の本である。直木賞受賞作品だ。読むきっかけになったのは,一昨日取り上げた,高橋哲雄著『本,註多きがゆえに尊からず――私のサミング・アップ――』である。「原尞の近作ミステリー『私が殺した少女』中に,何と『明暗』をはじめとする中絶作品の完結を仕事とする人物が登場する」(146・148ページ)とあり,水村美苗『続・明暗』とともに「謎解きゲーム」・「新しい知的ゲーム」として紹介していたからである(初出は1989年および1990年)。高橋は,ミステリーが特定の時代や社会の産物といえるとすれば,中絶作品の続篇書きが「とてつもなくゆたかな成熟」・「ある成熟」(同上)といえる,としたのだった。
本書の登場人物で,ストーリー展開の重要人物になる真壁脩は作家である。匿名で書いているポルノ小説が主要な稼ぎであり,本名で書いている詩的な幻想小説がつぎ,芥川賞の候補になったデビュー作の延長にある。みっつめが「一種の”贋作”のような作品」・「有名な作家の未完のままで終わっている遺作の結末をシリーズで書いて」おり,『明暗』,『旅愁』(横光),『おごそかな渇き』(周五郎),『たんぽぽ』(川端康成),『死霊』(埴谷雄高)などというわけである。
最初はたんなる作家の紹介と読む。これが最後にミステリーの終焉に関係する。中絶作品の続篇書きはあくまで舞台設定だけであり,内容の展開はまったくない。むしろストーリーの展開そのものがこの設定に絡んでいることになる。よく考えられている。
『明暗』の津田のその後は評者も気になる(下記エントリー参照)。これは水村作を読んでからにしよう。