820井出彰著『書評紙と共に歩んだ五〇年――出版人に聞く⑨――』

書誌情報:論創社,iv+178頁,本体価格1,600円,2012年12月20日発行

書評紙と共に歩んだ五〇年 (出版人に聞く)

書評紙と共に歩んだ五〇年 (出版人に聞く)

  • 作者:彰, 井出
  • 発売日: 2012/12/01
  • メディア: 単行本

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ニューヨーク・タイムズ・ブック・レビュー』や『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』のような本格的な書評論文がある書評紙にたいして,日本では「いつの頃からか,新聞をはじめ,かなりの雑誌にも書評欄が設けられるようになった。たいていは五百字,六百字のものである。そして,これが書評だと思いこまれるようになってしまった。これらは書評ではなく紹介なのである。簡単に外観だけ,うわべを舐める程度に紹介するだけだ。これは,今日の日本文化の有り様と対応する。肝心の中身に分け入って論じられることはない。またそのスペースもない」(168ページ)。akamac book review はまさに「簡単に概観だけ,うわべを舐める程度に紹介するだけ」のブログであろう。
そんななかで『日本読書新聞』,『図書新聞』,『週刊読書人』は「書評三紙鼎立時代」(52ページ)と言われる時代があった。ちょうど「安保」時代と重なっている。なかでも戦前からある『日本読書新聞』は「本の紹介を看板にしながら,全く独立した形で,反戦の思想を散りばめてゆくことを目的としていた」(176ページ)時代もあった。書評紙はある独立したメディアであることを象徴するエピソードである。本との緊張関係を保ちながらも書評をとおして書評者の意見を表明する意味では今も昔も変わっていない。しかし,その名のとおり,書評紙は出版された本と無関係ではありえない。『日本読書新聞』編集長と『図書新聞』代表を経験した著者へのインタビューは出版文化の変容を語っている。
ベストセラー本を出したり,出版により大きな利益を得る出版社はごく一握りであり,多くの出版社は食うや食わずの綱渡り営業である。評者はそこに書評紙の存在があると思う。「外観だけ」でも,「うわべを舐める程度」でもいい。埋もれた良書を発掘・紹介することに一義的な理由を見いだしたい。
出版社の広告で成り立つ書評紙が出版社の出版物の宣伝に与してきたという事実は否定しようがない。評者の本選択でもっとも多いのが新聞の書評欄と新聞広告である。また,書評紙への執筆(ただしすべて持ち込み原稿)は書評紙の埋め草だった。書評を掲載することで広告すら打てない弱小出版社への支援の意味が強い。
「零細な書評紙」のこれからがなかなか見えてこない。
著者の日経新聞への寄稿を思い出した。「書評紙は時代映す鏡――編集に携わり半世紀,三島由紀夫らと交流――」である(2013年2月20日付)。「自決の日の出来事」,「揺れる社会の指標に」,「日本の書評文化は危機」の小見出しで書評文化の意味を綴っている。